2代目の柴崎橋ができた後も、初代柴崎橋は使われていたのだが、阿賀川の増水で左岸側の一部が壊されてしまい現在に至るということも確かめられた。

 そういえば、流されてしまった橋桁の一部を支えていたのでは?と思われる橋台の残骸のようなものが写っている写真もあった(次の写真)。

橋台の残骸か? 木造だったようにも見える(黄色の枠内)

 喜平さんは昭和21年生まれ。生まれた時にはすでに柴崎橋があり、数えきれないほど渡られたことだろう。古い橋を懐かしみつつも「ダムができてその上が橋のかわりとなった。県道と共用というのも珍しいね」と少し誇らしそうに語ってくれた。

 昔撮影した柴崎橋の写真をお持ちではないか?とお尋ねすると、耳よりの情報を教えていただいた。近くにある道の駅に、柴崎橋の写真が飾られているというのだ。

 その写真をご覧いただいて、本記事の最後としたい。横方向から写したものではないので、傾いていたことは確認できないが、右岸側から橋の正面を写したものである。

現役だったころの柴崎橋。「道の駅にしあいづ」館内展示写真より

 堂々とした風景だ。「りっぱな橋ができた」、完成した柴崎橋を見て、当時の人たちはとてもうれしく、また誇らしく感じたのではないだろうか。人々の記憶とともに、使われなくなったいまも柴崎橋は残っている。

第1回:大杭橋
激流で歴史的吊り橋が流された!修復?撤去?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68063

第2回:祭畤大橋
破壊された橋がまつるべの森に飲み込まれていく
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68064