でも川の上で途中から急に傾斜する橋なんて、見たことがない(どこかにはあるのかもしれないが)。それに、雪が降る西会津で橋がこんなに傾斜していたら、自動車が通れないのではないか。考えれば考えるほど、迷宮にはまっていくようだった。
知っている人に聞くしかない!
これ以上机上で考えても答えは出ない。柴崎橋が現役だった頃の写真があれば一番確かだ。もう後には引けなくなり、西会津の古い資料・写真を求めて福島県立図書館に向かった。
新幹線に乗ってまで出かけた図書館だが、収穫はあまりなかった。わかったことは、工費は約10万円で全長144.4m、幅4.35mの鋼プラットトラス。西会津町で初めて阿賀川に架橋されたということぐらいだ。
謎を解明するには、当時のことをご存知の方に話を伺うしか、残された道はない。
とはいうものの、知り合いなど一人もいない。勢いで上野尻駅(柴崎橋の最寄駅、阿賀川の左岸)に来てしまったので、とりあえず柴崎橋に向かった。
まずは前回行けなかった左岸側(橋の先端が途切れている方)がどうなっているかを確認したいところだ。橋の左岸側は現在の道路から直接つながっていたのではなく、橋に続く専用の道があったことは事前の調べでわかっていた。
結論から言えば、現在の道路から柴崎橋へ続く道をたどるのは困難だった。小さな崖のようになっているうえに、樹木に行く手が阻まれてしまう。
気落ちしつつ、2代目の柴崎橋を渡り阿賀川の右岸側に行く。誰が地元の方が歩いていないかと周囲を見渡すが、誰もいない。3軒ほど呼び鈴を押してみたが、どこのお宅からも応答がなかった。
と、地図で近くにお寺があることを発見。お寺への長い階段を上がりきったところで、通りがかりの男性と目が合った。
渡りに舟とばかりにかけよって昔の柴崎橋の話をすると、この人なら知っているかも、という方のお住まいを紹介していただいた。足早にそのお宅に向かい、呼び鈴を押すと在宅されていた。古い柴崎橋についての話を聞きたい旨をお伝えすると、見ず知らずの私をご自宅内に招き入れてくださり、お話を伺うことができた(その節はありがとうございました)。
お話をしてくださったのは、この地区の地区長をされている武藤喜平さんで、子供の頃からこの地にお住まいだ。
喜平さんによれば柴崎橋は最初から片側が傾いていたとのこと。薄々そうかもしれないと思っていたが、まさかの事実である。
「両側の岸の高さが違うからね。斜めにしないと向こう岸につながらない」とおっしゃる。場所によっては高いほうの岸の高さにあわせて低い岸側に盛り土をするなどして道をつなげる方法もあるとは思う。そうすれば水平な橋が架けられる。ただ、柴崎橋はそうはしなかった。
あれだけの斜度があると、冬場に自動車が通るのが大変だったのでは、と聞くと、「当時は車を持っている人も少なかった。小さな車がたまに通ることもあったけど、ほとんど人専用の橋でした。昔は除雪機なんてないから、雪が降るとみな総出で橋の雪を踏み固めたものですよ」。