災害から13年、変わる風景

 もう一度周辺地図を見てほしい。新しい祭畤大橋の一関側近くに、国道342号に並行した細い道があり、その道に槻木平(つきのきだいら)橋という小さな橋がある。

赤線が以前の国道342号と旧祭畤大橋

 この橋は、旧祭畤大橋が現役で使われていたときの国道342号をまたぐためのものだ。2013年8月のGoogleストリートビューによると、槻木平橋の上から旧祭畤大橋の橋桁断面(対岸の秋田側)を見ることができた。ところが、8年たった今年2021年11月に現地に行ってみると、樹木の背が伸び、橋桁断面が見えなくなっていた。

槻木平橋の上から見た西方向(2021年11月撮影)。2013年ごろはこの樹木の向こうに秋田側の祭畤大橋断面が見えていた

 次の写真は、槻木平橋の下の2021年11月の様子だ。まだ旧国道の路面は見えるものの、両側から樹木が迫ってきている。

 旧国道をさらに旧祭畤大橋の方に向かうと、人が立ち入れないようにしたフェンスがある。

 しかし、この先は道を草木が覆っていて、フェンスがなくてももう進むことはできない。

 ここまでで紹介した、崩落当時(2008年)の写真と、今年(2021年6月)の写真を見比べても、周辺の木々が大きくなり、橋の遺構を覆い始めているのがはっきりとわかる。13年でこのようになってしまったのだ。あと10年、20年と経つと、残されている橋も全部森に飲み込まれてしまうのではないだろうか。

「災害遺構」として整備すると決めた段階でも、このことは想定されていたかもしれない。人間が自然を切り開いて作った土木建造物は、使われなくなればまた自然に飲み込まれる。それが「自然」というものだ。

「祭畤(まつるべ)」という珍しい地名は、神をまつるというような意味があるらしい。ここには人の手が及ばないものがあり、その力を持った森が、傷ついた土地を修復しようとしているのではないか。祭畤の地を歩きながらそんなことを考えた。

 次回は、不自然な傾き方をして残されている奇妙な廃橋を紹介する。
壊れたのか、壊したのか、傾いた橋桁の謎
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68065