11mの地滑りに耐えきれず

 橋にどういうことが起こったのか。少し詳しく見てみよう。

 2008年6月14日午前8時43分、岩手県内陸南部を震源としたマグニチュード7.2の直下型地震が発生した。震源地のごく近く(1.5km)にあった祭畤大橋はその直撃を受けた。

 地震の地滑りにより、祭畤大橋の秋田県側の地盤が一関側に向かって約11m動いた結果、秋田側の橋台(橋を岸側で支える土台)と橋脚(橋を支える柱)が一関方向にずれた。その押す力に耐えきれず、一関側の橋桁が折れ曲がり、橋が崩れ落ちてしまったのである(次の図)。

地震による地滑りで橋が壊れた様子

 次の写真は、一関側の橋桁(写真左)がまだ残っているときのもので(現在は撤去済み)、当時のすさまじい被災状況が確認できる。

一関側の橋桁が撤去される前の状態(一関市建設課提供)

災害遺構とすることになった衝撃的な姿

 これだけ破壊されてしまうと、もう“修復”できるレベルではない。国道のルートを変更し、崩落した橋のおよそ150m北側に新たに橋を架けることになった。それが、地震発生から1年半後の2010年12月に完成した、現在の祭畤大橋である(下の地図、紫色のマーカー)。

 新旧の祭畤大橋は磐井川の支流である鬼越(おにかべ)沢という深い谷に架けられている。位置関係は次の図のようになっている。

赤線が以前の国道342号と祭畤大橋

 旧祭畤大橋がもう使えないことは写真からもおわかりだろう。ただ、現地へ行って実物を目の前にすると、その破壊された姿は圧倒的で衝撃を受ける。おそらくみなが当時そう感じたのだろう。壊れた橋は災害遺構として残されることになったのである。

 新しい祭畤大橋の一関側に、周囲が開けた小高い丘がある。ここに「祭畤被災地 展望の丘」というスペースを作り、壊れた旧祭畤大橋を見られるような特別な場所としたのだ。

 展望の丘には、被災状況を詳しく説明した数多くの写真付きパネルが設置されている。圧巻なのは、展示されている橋桁である。地震時に観測された最大加速度4022ガルの爪痕だ。

展望の丘に展示されている崩壊した橋桁の一部(2021年6月撮影)