見学通路の行き止まりは少し開けた場所になっている。眼前には祭畤大橋の親柱(橋の両端にある橋や川の名前が書かれた柱)があり、そのすぐ先の道路はがくんと一段下に落ちてしまっている。さらに数mの道路が続き、その先は消えている。こちらからは確認できないが、橋桁が鬼越沢に向かって真っ逆さまに落ちているのだ。また、真正面には一関側の橋の断面があるはずなのだが、樹々に阻まれてまったく見ることができない。
「残すとしても、これ以上崩壊してしまわないのだろうか?」という心配はもっともだが、だいじょうぶだ。秋田側の折れ曲がった橋桁を安定させる対策工事を行っていることが、展望の丘にあるパネルで説明されている。
次の写真も同様にパネルに掲示されているもので、沢に下り、展望の丘の逆側から撮影したもの。落下した橋桁の下が固定されていることが確認できる。
このように、大きな手間と費用をかけて、旧祭畤大橋は災害の大きさを物語る遺構として保存された、のだったが・・・。