もともとヨーロッパでは、中世以来最大の工業製品は毛織物でしたが、毛織物産業の発展にはこのように生産面で大きな限界があったのです。また、毛織物は比較的寒い気候のヨーロッパには適していても、温暖なアジアには不適でした。そのために毛織物は、綿織物とは違って「世界製品」になることはできませんでした。

 しかし、多くの人口に繊維製品を供給するためには、大きな土地を必要とする綿(毛織物と比較すると面積は狭くてすんだとはいえ)では不十分でした。土地あたりの生産性という考え方を越えた化学繊維を生み出した第二次産業革命は偉大だったのです。

 ちなみに第二次産業革命の主役を担った繊維は、綿花や木材パルプからセルロースを取り出して繊維をつくる再生繊維、主にレーヨンです。さらに時代が進み20世紀前半になると、石油を原料としたナイロンやポリエステルが繊維産業の主役になってきます。いずれにしてもレーヨンを含めた化学繊維は、農場ではなく工場で作られるものでした。

イギリスは工業中心から手数料資本主義に

 18世紀後半に世界最初の産業革命を成し遂げたイギリスの工業生産は、19世紀後半になるとドイツやアメリカに追いつかれ、やがて追い抜かれるようになりました。

 そのためにイギリスの産業の中心は、工業から金融業にシフトしてきました。ただこれは、イギリス工業の凋落というよりも、他国の経済との関連性の中での最適化としてとらえるべきでしょう。

 イギリスは、20世紀になると世界の工場としての地位を、ドイツやアメリカに譲りました。だがその一方で、世界最大の海運国家でもあったイギリスはこの二国の工業製品の少なくない部分の輸送を担いました。さらにその際、ドイツやアメリカの荷主はイギリスの保険組合であるロイズで海上保険をかけていました。ロイズは海上保険における再保険の中心でもあり、彼らが決定する再保険市場の利率が、海上保険の利率もかなり決定しました。