「その日から、私は再び、あなたへの愛のフタを開けてしまった」

 7年前に私たちは、性的関係を持ったことがあった。その後、あなたは共産党常務委員に昇進して北京へ行き、私との連絡を絶った。なのにいまになって、なぜまた連絡してきたのか。そしてなぜ私を家に引き入れ、私に関係を迫ってきたのか?

 私は証拠を持っていない。証拠を持って帰るなんて不可能だった。その後、あなたはずっと否認している。でも確かに、あなたが先に私を好きになったのよ。そうでなければ、私があなたのような人と接触できるはずもない。

 あの日の午後、私はまったく同意していなかった。それでずっと泣いていた。夕食はあなたや康潔おばさんと一緒に食べた。あなたは「宇宙はとてもとても大きく、地球は宇宙の一粒の砂だ。そして私たち人類は一粒の砂にもならない」などと言い、他にもたくさんのことをしゃべった。

 それは私を、思想でくるめてしまおうとしたからだった。夕食の後、私が望んでもいないことをしたくせに、「あなたを恨んでいる」と言い出した。また、「この7年、あなたを忘れたことがなかった。あなたを好きになれる」とも言った。私は7年前、あなたの愛情に同意してしまったことが恐ろしくなり、混乱してきた・・・そうだ、確かに私たちは、性的関係を結んだのだ。

 感情とは複雑なもので、うまく言えない。その日から、私は再び、あなたへの愛のフタを開けてしまった。それからのあなたとの日々で、あなたはとてもとてもいい人だった。私によくしてくれた。私たちは近代史から古代の時代まで話題にし、あなたは私に万物の知識を語り、それは経済哲学にも及んだ。本当に話しきれないほどの話題だった。一緒に将棋を指し、歌を歌い、卓球やビリヤード、それにテニスもやった。私たちはずっと遊び続けても楽しめるほどで、性格はピッタリ合い、すべてがうまく支え合って立っているようだった。

 私は小さい頃から家を離れ、内心では極度に愛情に飢えていた。いろいろあったけれども、私はもともと自分でよい子と思っていなくて、自分のことが嫌いだった。なぜこんな世界(テニス界)に来てしまったのだろうと、自身を恨んでいた。

 あなたは私との時間を過ごすうちに、こう言った。「あなたを愛している、とてもとても愛している。来世では、私が20歳であなたが18歳の時に知り合いたい。私はとても孤独なんだ。一人でとても憐れな身なんだ」。

 私たちの話が尽きず、話し終わらないある日、あなたはこうも言った。「私はこの立場に立っていて、離婚もできない。もしも私が山東にいた時分(2002年~2007年)に知り合っていたなら、まだ離婚もできたろう。だがいまはもうダメだ。こうやって静かに、あなたに寄り添っていたい」。