(町田 明広:歴史学者)
◉渋沢栄一と時代を生きた人々(21)「東京遷都①」
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67165)
◉渋沢栄一と時代を生きた人々(22)「東京遷都②」
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67230)
前島密の東京遷都論の開明性
今回は、いかにして今の東京が誕生したかについて、東京遷都論を中心に見ていきたい。大坂遷都が現実味を帯びてきた頃、それに待ったをかける建白書が相次いだ。まずは、NHK大河ドラマ「青天を衝け」にも登場した前島密による江戸遷都論から紐解いていこう。
慶応4年(9月8日に明治元年に改元)4月下旬から閏4月上旬のどこかで、遷都しなくても衰退の心配がない浪華(大坂)よりも、世界の大都市の一つであり、帝都にしなければ市民が離散してさびれてしまうかも知れない、そんな江戸に遷都すべきだとする前島の意見書が大久保利通に届けられた。4月11日には江戸城が無血で開城されるなど、注目が大坂から江戸に移っていった頃の出来事である。
それでは、前島はなぜ大坂ではなく、江戸を推したのだろうか。前島は多角的にその理由を述べており、説得力が半端ではない。前島の建白書によると、大坂は既に商都として成熟しており、遷都する必要性はないが、一方で人口の増えた江戸の経済規模を維持するためには、遷都が必要であると主張する。そして、東国の鎮撫や蝦夷開発の拠点として重要であり、北海道を含めた場合、日本の中心地としては東国が適していると説明する。また、政府・教育機関の建設に大名屋敷の跡地が利用でき、大坂では既に土地が足りないことなどを挙げている。
前島の凄さは、そこに秘められた近代的ビジョンにある。この点を確認していこう。今後の海外との交流・貿易を考えた場合、港湾とドックが整備されることは必須の条件であると考え、この点を重視している。また、都市計画の視点を持っており、将来の道路整備と市街の拡大を意識し、かつ当時主流であった水上輸送に加えて、陸上運輸の重要性を考慮している。さらに、帝都としての都市景観が重要な要素であると認識していることなど、どれも開明的であるのだ。
前島は、帝都に必要な諸施設は大坂よりも江戸の方が充実しているとし、急いで新築する必要がないという、国家の財政事情にも意を用いた柔軟性も持っていた。加えて、最高教育施設としての大学設置を、本気で考えていたことも見逃せない。江戸は世界に誇れる大都市であるとの認識に立って、その歴史的都市の保存・存続を訴えていることも注目に値しよう。前島密、まさに恐るべしである。