東京2020におけるパラリンピックが9月5日に閉会した。前半17日間の五輪と後半13日間のパラリンピックで繰り広げられた世界最大のスポーツイベントは、世界の人々に、そして日本人に大きな感動を与えた。
特筆すべきは、コロナ禍の無観客開催は、まぎれもなく政権の浮沈を懸けたものであったということである。
選手たちは猛暑や雨を伴う低温などの異常気象をものともせず、逆に観る者を鼓舞した。
「この日のために命をかけてきた」「前回の屈辱を跳ね返すためにあらゆる努力をした」などと、入賞さえできなかった選手から聞けば、蓄積したエネルギーを放出させる機会を与えることができたのは良かったのではないだろうか。
開催に反対していた朝日新聞も、「共生社会の実現」というイベントの目的に異存があるはずはなく、9月6日付朝刊1面こそ「東京パラ閉幕」とそっけない見出しの記事であったが、他面では大々的に扱い、17面では「誰もが違う 誰もが主役」のタイトルで全面を使い総括していた。
1964年のオリンピックと違い、今回はボランティアたちの献身的なサポートがあった。同時に紙誌やテレビなどはほとんど報道しなかったが、自衛隊が約8500人からなる支援部隊を臨時に編成して協力体制をとったことを忘れてはならない。
選手としても自衛隊から17人が参加して10種の競技に挑み、5個(金3、銀1、銅1)のメダルを獲得した。
583人の日本選手が27個の金メダルを含む58個のメダルを獲得した比率と比較しても、自衛隊選手のメダル貢献度は3倍以上で、実に大きかった。
隊員選手の活躍もさることながら、ここでは今次大会における自衛隊の支援を57年前の場合と比較し、あわせて五輪にまつわる余話などに触れたい。
東京2020における自衛隊の支援
今回の大会において自衛隊は大会組織委員会の要請に基づき、東部方面総監が支援担任官となり、東部方面隊の安田百年陸将補(幕僚副長)を支援団長とする、隊員約8500人(陸自7000人、海自160人、空自約1300人)からなる「東京2020オリンピック・パラリンピック支援団」を臨時編成した。
開会式や閉会式における国旗や五輪・パラリンピック旗の掲揚、また表彰式における国旗掲揚は映像などでもしばしば見られたが、これは指揮官1人(陸海空の初級幹部)、隊員6人(陸海空各2人)からなる自衛官であった。
統一してきびきびした敬礼動作等が、華やかななかにも凛として、式典にふさわしい厳粛さと威厳をもたらしていた。
今回は57年前の東京オリンピック時の協力・支援の大まかな枠組みを踏襲しながらも、当時に得られた教訓が随所に生かされたことは言うまでもない。
また、参加国・参加者の規模が大幅に拡大(64オリンピックでは93か国、今回は205か国・地域)し、競技実施場所も北海道と首都圏の広域にわたったことから、ボランティアで十分なところは彼らに任せ、競技運営では射撃やアーチェリー、近代五種、広域にわたる自転車競技などに特化し、主として式典(開・閉会式及び表彰式)と会場整理(東京・神奈川・埼玉・山梨・静岡)に重点が指向された。
したがって、支援団の編成はヘッドクオーターとしての支援団本部に救急車支援組が付属し、団本部が自転車競技会場支援群(東京・神奈川・山梨・静岡)、会場整理支援群(第1~3東京会場、神奈川、埼玉)、式典協力隊、競技運営協力隊(アーチェリー・射撃・近代五種)を統括するようにした(「群」「隊」「組」は規模(大→小)による部隊編成)。