人は沈黙を不満や罰だと解釈する

 文化によって沈黙への耐性には違いがありますが、その差はほんの数秒、あるいはコンマ何秒かにすぎません。世界のどこであれ、人は会話の流れに棹さすのを嫌います。

 沈黙が、その文化で一般的な時間よりも長くなると、人は落ち着かなくなります。話し相手と親しいわけでない場合はなおさらです。

 会話の流れが滞ってしまっても、親しかったり信頼していたりする相手であれば、話をもたせなければという必要性はそれほど感じないでしょう。

 ある研究によると、沈黙の中で落ち着いて座っていられるということは、安定した人間関係があることを示しているそうです。地位が高い人もまた、会話の間にたじろぐことはあまりありません。おそらく、自分の立場に安心していられるのでしょう。

 欧米の文化では、0.5秒以上の沈黙があると、それを不満、罰、排斥だと解釈する傾向にあります。そのため人は、相手からの評価を上げようとして、急いで言葉をつないでしまうのです。

 沈黙が4秒も続けば、自分の視点が不適切なのだと解釈し、それまではっきりと表明していた意見でさえも変えたり、違うニュアンスを含ませたりしてしまいます。

 テック企業での幹部を経て、現在は著述家とキャリア・コーチとして活動しているキム・スコットは、アップルCEOのティム・クックが会話に間を取ることについてこんなふうに書いています。

「友人が警告してくれた。ティムはずっと黙っていることも多いけれど、だからといって緊張したり、間をもたせようとしてしゃべったりしなくてもいいと教えてもらった。そう警告を受けていたのに、最初の面接では沈黙に耐えられずひっきりなしに話し続けてしまい、打ち明けるつもりのなかったことまで口から出そうになってはっとした」(『GREAT BOSS―シリコンバレー式ずけずけ言う力』東洋経済新報社)

黙っていたからこそ情報が得られた

 通常の会話で間が空くのは、相手が考えていたり、話し続ける前に一呼吸ついていたりするからであることが多いのではないでしょうか。人はこれから何を話そうか、どれだけ話そうかを考えるときに間をおくものですし、感情を落ち着かせるために少しの間が必要なときもあるかもしれません。

 優れた聞き手であるとは、間や沈黙を受け入れるということです。

 なぜなら、間や沈黙をあまりにも早く埋めてしまう、ましてやかぶせ気味に言葉を発してしまうと、もしかしたら、話し手はうまく言葉にならない何かを伝えようとしているかもしれないのに、それを妨げてしまうからです。

 そうすると、せっかく言葉にしようとしているものを押しつぶしてしまい、本当の課題が表面に浮かびあがってくるのを邪魔してしまいます。とにかく待ちましょう。話し手が、とまったところから話を再開できるようにしましょう。

 ジャーナリストとして私は、自分が話さなくても会話は続くと気づくまでずいぶん時間がかかりました。これまでの取材で、質問したからではなくむしろ黙っていたからこそ、興味深く価値ある情報を得られた経験もあります。考えをまとめるための時間と余白を相手のために確保すれば、やりとりからもっと多くを得られるようになります。