敢えて「足りない」をデザインしてみる

 肥料には、ありとあらゆる養分が含まれている。炭素分だけが足りない。つまり土着の微生物たちにとって「あと、炭素さえあればパラダイスなのに!」という環境。やがて微生物たちは「木の切り株は炭素のカタマリではないか!」と気がつく。土着微生物の中から木を分解する力が強い菌がみんなのために切り株を分解し始め、他の微生物は炭素の分け前をもらう代わりに炭素以外の養分をその菌にせっせと運んでやる。土着微生物の生態系全体が、切り株を分解するために協力し、一斉に働き出す。

 微生物は、不足があればそれを補おうと行動する。

 私は、これは微生物だけでなく人間も同じだと考えている。敢えて何かが足りない状態をデザインして、その不足を補ってもらう方法を「選択陰圧」と呼び、研究手法の一つにしているのだが、これは子育てにも通じるもののように思う。

「足りない」親だからこそ子どもが補ってくれる

 親は、完璧を目指さなくてよいのだと思う。むしろ欠けた所をみせ、その部分を子どもに補ってもらったらどうだろう。補ってもらったら、親も「ありがとう」と言いやすい。子どもは自分が役に立った、能動的に何事かを成し遂げた、と、能動感、自己効力感を得ることができる。親が完璧を目指すと、親が自己効力感を得る分、子どもの自己効力感を奪いかねない。

 親に欠けているところを、子どもに補ってもらう。親はありがとう、と言う。そうした「欠如のデザイン」が、子育てでも、いや、会社でのマネジメントでも、自発的な意欲を引き出すカギになるのではないか。