縄文時代にはすでに広範な食用植物の資源利用が存在していた。しかも地域によっては、トチノミなどの堅果類を“主食級”に利用していた社会集団があったこともすでに判明している。ということは、そうした植物利用にともなう儀礼が行われていたことは間違いないのであるが、なぜか縄文遺跡からは植物霊祭祀が継続的に行われた痕跡がまったくといっていいほど発見されていないのである。一方、それとは対照的に、動物霊の祭祀を行ったと思われる痕跡は多数見つかっている。

 ではなぜ、最重要と思われる植物霊祭祀の痕跡は見つかっていないのだろうか。

「植物霊祭祀の痕跡が見つかっていない」のではなく、本当はすでに見つかっているのに、われわれがそれに気づいていないだけだとしたらどうだろうか。

 実はこれこそが私の見解なのだ。

 つまり、「縄文遺跡からはすでに大量の植物霊祭祀の痕跡が発見されており、それは土偶に他ならない」というのが私のシナリオである。このように考えれば、そしてこのように考えることによってのみ、縄文時代の遺跡から植物霊祭祀の痕跡が発見されないという矛盾が解消される。

 後編では9種類の土偶タイプについて行った、解読作業の具体例を紹介する。
土偶の正体、ひらめきを得た森での「事件」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65039