ほぼすべての文化で見られる植物霊祭祀

イギリスの人類学者ジェームズ・ジョージ・フレイザー(1854-1941)

 私はある一冊の書物のことを思い出していた。19世紀末にイギリスの人類学者ジェームズ・フレイザーが著した『金枝篇』である。

 私が特に注目したのはフレイザーが叙述している「栽培植物」にまつわる神話や儀礼である。植物の栽培には必ずその植物の精霊を祭祀する呪術的な儀礼が伴うことを、彼は古今東西の事例をあげて指摘している。

「野生の思考」を生きる人びとにとって、植物を適当に植えるということはあり得ない。播種(はしゅ)が行われるのは単なる畑ではなく、植物霊が集う聖地だからである。一粒の小さな種が発芽し、伸長し、何倍もの数の種を実らせるのはまさに奇跡であって、精霊(生命力)の力と守護がなければ絶対に成就しない事業である。それゆえ播種にあたっては、植物の順調な活着と成長を精霊に祈願してさまざまな呪術的儀礼が行われる。

 古代人や未開人は「自然のままに」暮らしているという誤解が広まっているが、事実はまったく逆である。かれらは呪術によって自然界を自分たちの意のままに操作しようと試みる。今日われわれが科学技術によって行おうとしていることを、かれらは呪術によって実践するのである。

 呪術が科学技術より優先する社会において重要なのは、儀礼を通じて、自分たちが資源利用する植物の精霊と円滑なコミュニケーションをとることである。とりわけその食用植物が自分たちの食生活の中心となっていたり、交換財としての価値が高い場合には、「植えっぱなし採りっぱなし」ということはあり得ない。

 播種の春には歓迎会が開催され、人間界へ来訪する精霊たちをご馳走と歌舞でもてなし(予祝儀礼)、収穫の秋にはふたたび宴席を設けて当該シーズンの精霊の事業を顕彰し(収穫儀礼)、翌年の来訪を約束して盛大な送別会が行われる。

 こうしたことからも、「植物を成長させる精霊」という観念と「それを祭祀する儀礼」という事象が、植物栽培によって生命を繫いできたわれらホモ・サピエンスにとっていかに普遍的なものであるかがわかるだろう。フレイザーの『金枝篇』は、こうした植物霊祭祀の慣習と心性が、食用植物を重点的に資源利用するほぼすべての文化においてみられることを明らかにした人類学の古典なのである。

植物食依存はすでに縄文中期から

 かつての通説では、縄文文化から弥生文化への移行の説明として、「狩猟採集の縄文時代」から「水田稲作の弥生時代」へ(「肉食中心」から「植物食中心」へ、「採集」から「栽培」へ)シフトしたと説明されることがもっぱらであった。ところが、近年の考古研究の進展によって、この図式が不正確であったことがすでに判明している。

 縄文遺跡の発掘数の増加だけでなく、花粉分析やプラントオパール(植物珪酸体)分析、土器圧痕レプリカ法、デンプン分析、種実分析といった、電子顕微鏡を用いた理化学的な植物遺体の検出・同定技術の向上、さらには縄文人骨のコラーゲン分析の結果などによって、北海道を除く東日本では、すでに縄文中期(およそ5500年前)あたりから、縄文人が従来の想定よりもはるかに植物食に依存していた実態が浮かび上がってきたのだ。

 しかもかれらは単なる採集(gathering)だけでなく、ヒエなどの野生種の栽培化(domestication)、里山でのクリ林やトチノキ林などの管理(management)、マメ類の栽培(cultivation)などを行っていたことも判明しつつある。

 さて、そうなると一つの重大な疑問が湧き上がってくる。