それにもかかわらず、この無理筋な説明が多くの教科書に採用され、通説として社会に流通しているのはなぜだろう。それは、この説が「土偶は人体をデフォルメしている」というさらなる俗説によって補完されてきたからである。

着想は突然やってきた

 土偶は人間女性をモチーフにしつつ、それを抽象化してデフォルメしたフィギュアであるから、土偶の多様なかたちには具体的な意味はない――。これは本当だろうか? こうした“通説”は、私には途方もなくデタラメなものに感じられた。土偶のかたちには具体的な意味があり、それは決してデフォルメのようなものではなく、土偶の様式ごとにそれぞれ異なる具体的なモチーフが存在しているのではないか――これが土偶を前にした最初の私の直感であった。

 土偶研究の始まりに際して、私は新しい仲間を迎えることになった。遮光器(しゃこうき)土偶のレプリカである。私が購入したのはレプリカとはいえそれなりに再現性のあるものだった(図2)。

図2 わが家にやって来た遮光器土偶のレプリカ

 さて、遮光器土偶が自宅に届いてから一週間ほどしたある日のことである。東京国立博物館のウェブページで、私はあらためて遮光器土偶の高精細の画像を眺めていた。3000年近く前、東北地方に住んでいた人びとは、粘土を採取し、それを丁寧に成形し、体表に緻密な紋様を施し、焼成し、このフィギュアを製作した。いったい何をかたどり、何の目的のために? それは答えのない、それどころか手掛かりとなるヒントすらない、途方もない謎のように感じられた。

 ハイバックチェアにもたれかかり、私はPCの画面を眺めながら何度か深呼吸をした。すると不意に、私の脳裏にある植物のイメージが浮かびあがった。それはある根茎類の映像だった。次第に鮮明になっていく輪郭を追いかけていくと、その根茎類が目の前にある遮光器土偶のレプリカの手足と重なるような気がした。私はハッとして椅子から起き上がり、ウェブで画像を検索し、実際にその根茎の画像を遮光器土偶の手足に重ねてみた。すると、根茎の描く独特な紡錘形のフォルムは、土偶の四肢とぴったりと重なったのである。

 この時、私は探していた“何か”が自分の目の前に現れたと感じた。すなわち、この根茎こそが、遮光器土偶がかたどっているモチーフなのではないか、という着想を得たのである。