そのほか、法隆寺の宮大工、西岡常一の本(『木に学べ』や『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』など)を読んで感銘を受けたことも一因であろう。西岡棟梁の業績や大工道具は、法隆寺参道入り口のところにある法隆寺センターで見ることができる。

 母の実家では、祖母(母の母親)が当時としてはモダンな3階建てのレストランを経営していた(「若草」という名前だった)。その話もたびたび聞かされた。一階はレストラン、二階は撞球場、三階は雀荘。京都撮影所から長谷川一夫ら俳優たちが遊びに来て、中学生だった母は可愛がられたということだった。

 近鉄奈良駅の左隣の並びにあったというから、写真でも残っていないかと、戦前の奈良の写真集などを探したが、見つからなかった。しかし母が通っていたであろう親愛幼稚園は、近鉄駅前の東向商店街の中に見つけた。

 考えてみれば、わたしは若い日の母のことはほとんど知らない。もっと話を聞いておけばよかったと思うが、それもしかたがない。後悔先に立たず、だ。話を聞かなかったわたしが悪いのである。

三島が『豊饒の海』の取材で訪れた

 奈良といえば京都、というように、よく京都と比較されるが、街並みも繁華街の規模も洗練された店の多さも市内交通の便も人気度も、したがって観光客の数も、奈良はまったく太刀打ちできない。だがそこが逆に奈良のいいところである。地味で鄙びてこじんまりしていて、気分が落ち着くのである。さすがに餅飯殿町の商店街は田舎臭くて物悲しいが、それもここ10年で、メインストリートの三条通りを中心に随分と変わってきた。シャレた店が増えてきたのである。

 奈良行きの楽しみは、もちろん寺と仏像を見ることである。いいかえれば、その環境に浸ることである。仏像でとくに印象的なのは、まず興福寺の阿修羅像と薬師寺の日光月光菩薩。そのほか、東大寺戒壇堂の四天王像、新薬師寺の薬師如来と十二神将、浄瑠璃寺の九体阿弥陀、中宮寺の菩薩半跏思惟像、秋篠寺の伎芸天、若き運慶の傑作である円成寺の大日如来坐像などがある。寺以外に、奈良国立博物館にはよく行くし、展示物によっては奈良県立美術館に行くこともある。

円成寺(奈良県奈良市)の大日如来坐像。運慶の初期の作品

 しかし10年以上通い続けていると、さすがに有名どころ・大どころはほとんど行きつくした。最初の頃は、一日に何か所も回ったが、最近は一日に1、2か所にしている。すこし遠いところでは長谷寺、室生寺、飛鳥寺、當麻寺、浄瑠璃寺あたりまで足を延ばしている。伊勢神宮にも行った。東大寺、興福寺、薬師寺や唐招提寺には何回も行っている。けれど、まだまだ行ってない所はたくさん残されており、県全域にまで広げればきりはない。