(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 岡山県赤磐市の73歳になる市議(団塊ど真ん中)が、今年1月に市役所のトイレ掃除を請け負う清掃員に高圧的言葉を浴びせたという理由で、辞職勧告決議を受けた。それはなんとかやり過ごしたが馬脚はすぐ現れるもので、今度は11月、市の保健センターで検診を受けたとき、職員からマスク着用を促されると「この若造が」と暴言を吐き、検便の検体を投げつけたということで、ついに辞職した。

 こういう「エラい人」たちの暴言・愚行は、氷山の一角である。威張り散らし、弱い者を服従させようとする人間はすくなからず存在する。このような威圧-萎縮(支配-服従)関係が、本来の人間関係にとって、いびつな関係であることはいうまでもない。この種の人間は、社会的地位(権力)の威を笠に着ている。

 単なる役割の違いにすぎないものを、人間的価値の上下だと勘違いするものが出てくる。だから市議会議員は市の職員や役所内で働く人間よりエラく、威張ってあたりまえと考える人間がいても不思議ではない。

林修氏が驚いた教授のあいさつ

 こういう話で思い出すのは予備校講師林修氏の話である。かれが東大生のころ、法学部の教授とトイレで鉢合わせした。ちょうどトイレは清掃中だったのだが、そのとき林氏が驚いたことには、教授が掃除のおばさんに深々と頭を下げ、「お疲れ様です」とあいさつしたことである。林氏はこう書いている。「僕にとって一番の衝撃は、僕と、掃除のおばちゃんに対してまったく同じお辞儀を先生がされたことです」(『いつやるか? 今でしょ! 今すぐできる45の自分改造術!』林修、宝島SUGOI文庫)

 このあと、林氏が生意気にも、先生は意外と礼儀正しいんですね、みたいなことをいうと、教授は「ああいう方が、自分の仕事をしっかりしてくださるおかげで、こうやって気持ちよく用を足せるんですから、ありがたいことです」といった。というのは相当ウソくさいが、いずれにせよ、この教授みたいな人は稀有である。

 地位が人をつくる、ということは、ほんとうはこういう人のことをいう。実るほど頭を垂れる稲穂かな、という諺もあるが、しかしこれができる人はめったにいない。