腹を括って作業に取りかかろうとしたとき、地域課の課長代理(警部)が2名の部下を連れて現場にやってきた。先に下山した救急隊から連絡があったという。

「班長、だいじょうぶですか」と駆けつけてくれた彼らが、私の目には救世主のように見えた。私が「助かりました」と礼を述べると、課長代理がこんなことを言った。

「人手が足りず困っているかなと思いました。自分は山間部を管轄する署に勤務した経験があるので、山の現場の苦労がよくわかります。ワゴン(遺体搬送車両)はクルマが登れるぎりぎりのところまで乗ってきていますので、そこまでみんなで運びましょう」

 極楽袋を総勢5名で抱えると、やや勾配のある山道をゆっくりと下りていった。

遺体を復顔 

 遺体を運び込んだ署の霊安室には、死臭が充満していた。ふたつある換気扇をフル回転させても、においがなかなか薄まらない。私はいつもより線香を多めに焚くことにした。

 遺体の検視は、遺体全体の写真撮影をすることからはじめる。次に裁ちバサミで衣服を切断して、遺体を全裸にする。

 遺体と一緒に連れ帰ってきた蜂や羽蟻などの虫はかなり弱っていたが、遺体の内臓からこぼれ出た蛆虫は、遺体安置台の上を元気よくはいまわっている。私はそれらを殺虫剤で死滅させると排水溝に流した。

 男性の身元は、着衣のポケットから出てきた運転免許証で特定でき、それによって家族から自殺企図者として兵庫県警に捜索願が出されていることも判明した。男性が発見された金剛山の駐車場からは本人名義のクルマも見つかっており、車内には家族に宛てた遺書が残されていた。最終的に本件は自殺として処理されることになった。

 事件の終結にともない、男性の遺体は遺族のもとにお返しするが、その際に遺体を確認した遺族が「(男性本人かどうか)ちょっと、わかりません」「自信がない」などの曖昧な回答をした場合は、すんなりと引き渡すことはできない。家族関係を証明するためDNA鑑定や歯牙鑑定などの関係資料を、遺族の協力を得て入手しなければならなくなる。

 とくに男性の遺体は腐敗の度合いが激しく、遺族が男性の顔を見ても本人と判別がつかない可能性が高かった。そこで私は蛆虫を除去したあと、脱脂綿やガーゼを眼窩などのへこみにあてがい、可能な限り見栄えが良くなるように復顔を施しておく。

 結果的に男性の遺体はすぐに遺族の確認がとれた。その理由は、捜索願届出書の人体図に身体的特徴が詳細に記載されており、それが遺体の特徴と合致したからだ。

 数日後、男性の遺族(兄弟)が「兄の発見場所を教えてほしい」と来署されたので、私は再び山を登って現場を案内した。

 男性が首を吊っていた場所を指差しながら「あの木です」と説明すると、兄弟たちはその木に向かって合掌しながら涙を流していた。

*前回:『鑑識係の祈り――大阪府警「変死体」事件簿』より〈4〉 〈自宅で腐乱死体となっていた独居女性、検視と弔い方〉はこちら
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64164