高校進学を迷う
藤井は高校進学を翌年に迎える2017年の夏、「学校に行くと時間的な制約をかなり受けます。高校進学については、自分の中で迷う気持ちというのはあります」と語ったことがある。
藤井が高校に進学しないで将棋一筋の生活を送れば、天賦の才能がさらに発揮されて、盤上で大いに活躍するだろう。
しかし、人生という長いスパンで見ると、高校に進学することは、学識が豊かになる、規則正しい生活を送れる、将棋以外の友人を作れる、などのメリットがあり、決して無駄ではない。高校生という立場なら、メディアの過熱報道から身を守れる。
藤井は2017年の秋、名古屋大学教育学部付属高校に進学することを表明し、「全てのことをプラスにする気持ちでこれからも進んでいきたいです」とのコメントを出した。
実はその背景には、「高校までは行ってほしい」という母親の強い希望があった。そもそも中高一貫校を選んだのは、受験に忙殺させたくないのが理由だった。藤井は、親孝行のために高校進学を決めたようだ。
藤井は「学校で学んだことが将棋に役立つことはありませんが、学校に行くことで精神的にバランスが取れているかなと思います。勉強で面白いのは世界史で、今は第一次世界大戦の授業を受けています」と、高校生活について語ったことがある。
高校の友人と一緒に地元の愛知県から長野県を訪れ、「青春18きっぷ」を利用した約14時間の日帰り旅行をしたこともあった。
退学は想定内の判断
藤井は一人の高校生として、このような学園生活を送っていた。しかし、対局日程が込み入ってくると、通学が難しくなってきた。
公式戦の対局は、原則として平日に行われる。愛知県在住の藤井は、東京・大阪の将棋会館での対局で前日に宿泊し、終局が遅い対局では当日も宿泊する。また、2日制のタイトル戦(藤井は昨年に王位戦に登場)では、地方の対局場への往復の移動を含めて4日間も要する。授業の出席日数不足は、入学当初から懸念されたことだった。
藤井は昨年の秋から、高校と何回か話し合ったそうだが、レポート提出などによる救済措置は認められず、卒業するには留年を選ぶしかなかったという。私立高校なら出席日数不足は容認されるかもしれないが、国立の付属高校では難しかった。
藤井は高校退学について、「タイトルを獲得したことで将棋に専念したい気持ちが強くなりました。昨年の秋に意志を固めました」とのコメントを出した。
また、あるインタビューでは、「高校進学を決めたときから、状況を見て退学を判断しようと思っていました。高校では、棋士だけでは経験できないことがいろいろとありました。だから卒業自体にこだわる必要はないのかなと思っています。心残りはありません」と語った。
藤井が高校を自主退学したのは、想定内の判断だったのだ。
高校の卒業証書は受け取れなかったが、名人の「推戴状」を受け取る日がくることを期待したい。