(田丸 昇:棋士)
卒業を目前に退学届を提出
藤井聡太二冠(18=棋聖、王位)が、在学していた名古屋大学教育学部付属高校に、1月末日付で退学届を提出したことが、2月中旬に明らかになった。3月に迎える卒業まで、およそ1ヵ月前のことだった。どんな事情があったのだろうか・・・。
藤井は2016年(平成28)10月、14歳2ヵ月の最年少記録で四段に昇段して棋士になった。その後、公式戦でデビューから負けなしで29連勝の最多記録を達成。昨年には17歳11ヵ月の最年少記録で初タイトルの棋聖を獲得した。また、2017年度から2020年度の公式戦で、8割台の高い勝率を4年連続で挙げている。
そうした驚異的な活躍によって、タイトル戦などの重要な対局が重なってきた。結果的に高校に通学するのが難しくなり、自主退学ということに至った。
「宿題をするのはマストではない」
藤井は小学6年生だった2014年12月、中高一貫校である名古屋大学教育学部付属中学への受験を、母親と話し合って決めた。そして、翌年の3月に合格したが、進学塾にはそれ以前から通っていなかった。普段から日課として読んでいた新聞で得た知識や情報が役立ったという。また、司馬遼太郎の長編時代小説『竜馬がゆく』を読破するほどの読書家だった。
中学の授業で好きな科目は地理と数学。幼少時代には世界の山の標高、海の水深をしっかり覚えた。鉄道の時刻表を片っ端から記憶したのは、数字が好きだったことによる。
藤井は学校の勉強は優秀だった。しかし、中学生棋士として対局や研究で忙しくなり、宿題を提出しないことがよくあった。職員室に呼ばれて担当教諭に事情を訊かれると、「学校では授業で勉強することがすべて。宿題をするのはプラスアルファ(何かを少し追加する意味)で、マスト(欠かせない意味)ではないと思います」と答えたという。
中学生が職員室で教諭に詰問されたら、誰でも委縮してしまうものだが、藤井は合理的だと信じる持論を堂々と述べたのだ。その後、30分ほど話し合い、教諭の「教えた内容を定着させるために宿題を出していて、授業のカリキュラムに含まれる」という見解に、藤井は納得したようだ。