SNS規制をめぐり各国で議論がなされている(写真:ロイター/アフロ)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 米国ではSNS(交流サイト)の規制論が強まっている。今年1月の連邦議会議事堂占拠事件がSNSによって引き起こされたとする危機感からだ。25日には下院の公聴会にフェイスブック、ツイッター、グーグルのCEO(最高経営責任者)が出席して追及を受けている。

 ドイツでは2017年に「ネットワーク執行法」が施行されていて、偽情報や中傷、ヘイトスピーチ、犯罪行為への煽動などの違法投稿は、SNS事業者に削除もしくはアクセスブロックが義務付けられている。違反すると過料が科せられる。欧州連合(EU)でも、2018年に官民でまとめられた誤情報対策の行動規範にフェイスブックやツイッターが署名している。

 ところが、日本ときたら、女子プロレスラーがSNSの誹謗中傷で自殺に追い込まれたことが問題になっても、まったくと言っていいほど、SNSへの対応が遅れている。それどころか、SNSにやりたい放題にやらせて、法治国家でありながら、犯罪を見過ごし、運営会社に治外法権まで認めている現実がある。これは実際に私が体験していることだ。

本誌記事に反発、筆者に向けて「殺害予告」

 昨年の8月、私はこのサイトに「新型コロナは弱毒化したのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61663)と題して寄稿した。それがきっかけだった。ツイッターにこんな書き込みがあった。

【青沼陽一郎という名前はメモしておかないとな。殺害リストとして。】

 そこに自ら返信して当該記事を「ゴミみたいな暗示誘導記事」などと誹謗し、最後に「青沼陽一郎とやら、覚悟しておけよ」とあった。

 私は言論に携わる人間である。情報発信者であり、表現者でもある。だからこそ、言論の自由、表現の自由を尊重しているつもりだ。SNSの規制についても、表現の自由に抵触するだけに慎重であるべきだと考えている。そうであるからこそ、私の書いたものに対するネット上の書き込みには触れないことにしていた。文意を読み誤っていたり、否定的であったり、あるいは中傷的であったりするものにも、あえて反論はしていない。彼らにも言論の自由は保障されるべきだからだ。あまりいい気分のものでなくても、私が発信したものへの反応なのだから、黙っていることにしている。

 しかし、殺害を予告するものとなると、まったく別だ。言論の自由、表現の自由を根底から脅かす。それは民主主義の否定と同じだ。