尖閣諸島の防衛には自衛隊法の改正が不可欠だ(写真は海上自衛隊の「いずも」型護衛艦、海自のサイトより)

 中国は2021年2月1日から海警法を施行し始めた。その背景には、長期的な戦略目標達成のための、法制面、作戦運用のシナリオ両面からの練り上げられた戦略が秘められている。

歴史的、法的にわが国固有の領土

 尖閣諸島は魚釣島を中心とする一群の島々で、魚釣島と最も遠い大正島とは約110キロ、久場島とは27キロある。

 魚釣島を起点とすると、最も近い與邦国島から150キロ、台湾本島と石垣島からは170キロ、中国大陸からは330キロ、沖縄本島からは410キロある。

 このように尖閣諸島はそれ自体が110キロにわたり広がり、中国大陸からの距離の方が沖縄本島よりも近い。

 かつ中国側は広大な大陸であるのに対し、わが国の領土は分散した離島群である。日本固有の領土ではあるが、地政学的には防衛警備上有利とは言えない地理的位置にある。

 尖閣諸島に関する日本政府の基本的立場は、日本固有の領土であり、日本の実効支配下にあり、領土問題そのものが存在しないという点にあり、その姿勢は一貫している。

 清国が尖閣諸島の領有権を主張した形跡は一切ない。

 明治18(1885)年以降の沖縄県の再三の要請を受け、明治政府は国際法の手続きに従い、尖閣諸島が他国の支配が及んでいない「無主地」であることを慎重に調査確認した後、明治28(1895)年に国標の建設、沖縄県所轄を閣議決定した。

 それ以降戦前まで、尖閣諸島の住民は最多で200人を超え、政府の許可の下、鰹節の加工業など、活発な経済活動が行われていた。

 大正9(1920)年には、中華民国駐長崎領事は、尖閣諸島に漂着した中国漁民を救助した島民などに対し、漂着地が沖縄の一部であることを明記した感謝状を贈っている。

 戦後、昭和27(1952)年4月に「サンフランシスコ平和条約」が発効され日本は主権を回復したが、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれた。

 昭和47(1972)年に米国は沖縄の施政権を日本に返還したが、その返還範囲には尖閣諸島が明確に含まれている。

 沖縄返還に先立ち、昭和44(1969)年国連アジア極東経済委員会から、尖閣諸島周辺海域に石油と天然ガスが埋蔵されている可能性があるとする報告書が出され、それまで領有権を主張したことのなかった中国と台湾が尖閣諸島への領有の主張を始めた。

 以上の経過からも明らかなように、尖閣諸島がわが国固有の領土であることは、歴史的にも国際法的にも一点の疑義もない。