プロスポーツに比べて現役年数が長い棋士

 たいがい30代で現役を引退するプロスポーツの選手たちと比べて、将棋棋士の現役年数は長い。公式戦の成績がよほど悪くないかぎり、およそ60歳までは現役を続けられるものだ。

 私こと田丸九段の場合、1972年(昭和47)に21歳で四段に昇段して棋士となり、2016年(平成28)に66歳で引退するまで、45年間も現役棋士を続けられた。現役時代は目立った実績をあまり挙げられなかったが、「細く長く」現役生活を送れたことに、今では満足している。ちなみに私は、順位戦でトップのA級に昇級した1992年の翌年に獲得した1323万円(20位)が最高額だった。

タブーだった棋士の収入

 私が日本将棋連盟の出版担当理事だった1990年の頃、発行する『将棋世界』誌で獲得賞金・対局料ランキングを初めて公表した。棋士の収入は、それ以前はタブー視されていた。

 しかし、創設された竜王戦が賞金・対局料を明示したことや、ニューヒーローが誕生したことから、公表することを決めた。トップ棋士の獲得額が増えて、公表しがいのある金額になっていたのも理由だった。その試みは反響を呼び、一般誌の記事にも取り上げられた。

 初めて公表した1989年のランキングでは、1位は谷川浩司名人(当時27)の6069万円。2位は中原誠王座(同42)の4773万円。3位は島朗竜王(同26)の4372万円。4位は米長邦雄九段(同46)の3147万円。※棋士の肩書は当時。

 島は1988年に初代の竜王となり、2600万円の賞金を獲得した。1989年12月に島竜王を破った羽生六段(同19)は、1990年のランキングで5237万円(3位)を獲得した。

 羽生は、1993年のランキングで、初めて1億円を超えた。前人未到の「七冠制覇」を達成した1996年には、1億6145万円を獲得した。

 1989年の獲得賞金・対局料ランキングのベスト10の総額は約3億円。その後、1996年のベスト10の総額は約4億3千万円に増えた。各棋戦の契約金が堅調に伸びていたからだ。しかし、1997年以降の契約金は、全体的に据え置きや減額が続く状況となっている。2020年のベスト10の総額は、24年前とほぼ同じである。その背景については後述する。

棋戦契約金が頭打ちになっている理由

 ある経済誌は、10年後の2030年に「消える仕事、残る仕事」というテーマで、それぞれ約20業種を選び出した。前者の中には、大学教授、新聞記者などがあった。後者の中には、お笑い芸人、ユーチューバーなどのほかに、将棋棋士が入っていた。

 将棋棋士が10年後に「残る仕事」とした根拠について、一流棋士の道を突っ走っている藤井二冠の活躍と人気があり、将棋ファンを広げる効果が期待できるという。ただし、AI(人工知能)を搭載して驚異的に進化している将棋ソフトが不気味な存在だという。その見方に異論はないが、10年後の話ではない。将棋ソフトの強さは、棋士をすでに凌駕していると思われるのが現実である。

 日本将棋連盟は、主要財源となっている新聞社との棋戦契約金によって、安定した運営を長年にわたって行ってきた。しかし、前述したように、その契約金が頭打ちの状況になっている。

 ネット化への移行による活字離れ、発行部数や広告収入の減少などによって、新聞社の経営環境が変わってきたからだ。

 正直なところ、10年後の将棋界のことは見通しがつかない。大きな曲がり角にもし直面したとき、タイトルを数多く獲得して第一人者になっているだろう藤井の存在に期待したいところだが・・・。

 私は、将棋が日本の伝統文化として掛け替えのないものだと、多くの人たちに認めてもらえれば、将棋界はずっと存続できると思っている。