横暴が甚だしかった全羅南道出身者

 1990年代後半は、軍隊内の殴打や暴行など過酷な行為は公式的には禁止されていた。しかし、二等兵や一等兵に対する殴打や暴行は密かに行われていた。中でも輸送部や戦闘工兵、装備課、戦車や自走砲など大きな装備を扱う機甲部隊や、危険物を扱う部隊、儀仗隊や捜索隊、特攻隊といった少数の特殊部隊では、頻繁に発生した。 軍規が強い兵科は、事故予防や緊張感、軍規を維持するためと理由付けた。

 二等兵の時は、よく眠れなかったことが最も大変だった。二等兵は一等兵5号俸が管理する。通常、入隊後から1年程度経過し、上等兵への進級を目前に控えた兵である。その一等兵5号俸は部隊内の序列や一週間分の食事の献立、軍歌などを二等兵に暗記させ、確認する。彼らは主に夜に二等兵を起こしてトイレなどで確認させるが、過酷な行為が伴う場合が多い。

 特に筆者のようなソウル出身者は地方出身者のいじめにあった。軍隊では出身地域ごとに集団が形成され、木浦(モクポ)や光州(クァンジュ)を中心とする全羅南道(チョンラナムド)出身の先任兵の横暴が酷かった。軍隊生活の間、3回ほど殴られたが、そのうち1回はとても理不尽な理由だった。

 実務部隊に到着した夜、光州出身の先任兵が筆者らをトイレに呼んで故郷を尋ねた。「ソウル」と答えると筆者と同期を殴打した。「ソウルのやつらのせいで我々 (全羅南道の人々) はまだ貧しい」と言いながら。

光州事件の舞台となった全羅南道。写真は記念式典の様子(写真:Yonhap/アフロ)

 軍部隊には全羅南道出身者のカルテルが形成されていたことを後で知った。出身地が近い人々が集まって互いを気遣い、他の地域出身を排斥する例が多かった。

 これはいまでも韓国社会でよく目にする光景だ。投票率や民主党・親北親中進歩政党など特定政党の支持を見ればよくわかる。金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、文在寅(ムン・ジェイン)は全羅道の被害意識を利用し、支持率を高めて政権を獲得したことで知られている。

 筆者の軍服務は、その金大中政権の時で、軍隊の要職を全羅道出身者が占めていた時代である。また、慶尚道出身者との摩擦が多く、地域感情を煽りもした。

 新兵に全羅南道出身がいればすべてがうまく処理されるが、それが先任兵なら大変な苦労をするという俗説がある。また、韓国で蔓延する地域感情は大半が軍隊から始まるという点も無視できない。 筆者は、直接的な殴打はそれほど多くはなかったが、さまざまな過酷行為で、軍服務後、全羅南道出身者に対するトラウマが生じた。 全羅南道方言特有の荒いイントネーションとふてぶてしさは今でも深く記憶に残っている。

 韓国の軍隊は韓国社会の縮図といわれている。良い人もいるし、悪い人もいるが、自分の利益のためには兵士が受ける被害を何とも思わない人もいる。さらに韓国の軍隊は現代版奴隷制と呼ばれたりもする。