韓国の徴兵検査の様子(写真:Yonhap/アフロ)

(朴 車運:韓国ジャーナリスト)

※1回目から読む
「韓国兵役残酷物語、ここは人であることを捨てる場所」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63978

 これまでの人生中で最もわびしく、長く感じた議政府補充隊を離れて、6週間の基礎軍事訓練を受ける新兵教育隊の訓練所に到着した。なお、補充隊は現在廃止されている。到着した訓練所は最前線だった。

 訓練所の練兵場にバスが着くと赤い八角帽子を深く被った下士官たちが待っていた。威圧的で険悪な雰囲気が感じられた。彼らは大声を上げながら、尊重しているとは思えない威圧的な態度でバスから降りる我々を迎えたのだった。 補充隊で支給された軍服と軍靴がサマになっている人はほとんどいなかった。

 ぎこちなく不自然だった我々は、下士官の指示に従うほかなかった。1990年代末のことである。いまは状況がかなり違うが、初めて経験する威圧的な雰囲気は変わっていないだろう。

「壮丁」から「訓練兵」に身分が変わる訓練所で、良い思い出を作る人は誰もいない。入所初日の雰囲気は記憶がいまだ生々しい。軍隊を経験した男性は、年を取っても入隊した日が夢に出てくるという人が多い。

 訓練所の最初の手続きは人員把握と予防接種、戦友組の編成だ。入所式行事のための制式訓練も行われる。最も重要なシステムは3人が1チームの戦友組だ。 3人は訓練所で過ごす間、常に行動を共にしなければならず、トイレにも一緒に行く。互いに監視する役割だ。センスのある人と戦友組になれば、気持ちにわずかながらの余裕ができるが、そうでないと6週間、さまざまな困難に直面する。

 訓練所で最初に出される夕食は戦闘食糧だ。熱湯で戻した凍結乾燥ご飯にスープをかけて食べる。それまで食べた食事の中で最悪だった。食事はもちろん戦友組と一緒である。軍の食事に適応できなかった筆者は2さじ食べてあきらめた。

 飲料水は常にお湯が出る。食中毒や腹痛を防ぐ措置で、暑い盛りの8月も熱湯だった。ある程度、訓練所の生活に慣れると、食後に食器を洗いながら、こっそり水道水を飲みもしたが、下士官らはいつも見ていた。