大ヒット作『釣りキチ三平』で知られるマンガ家、矢口高雄氏。惜しくも昨年11月に亡くなったが、彼が最後まで気にかけていたのは、「マンガの原画をきちんと保存すべき」ということだった。矢口氏の評伝を執筆した藤澤志穂子氏が語る、矢口氏の思いとは。(JBpress)
「マンガの原画に相続税が課せられるかもしれない。そうしたらクールジャパンの原点が浮世絵のように散逸してしまう」
2020年11月に死去したマンガ家の矢口高雄氏から、最初にこの話を聞いたのは2017年の春先だった。矢口氏が晩年、運営に力を入れていた、秋田県の片田舎にある「横手市増田まんが美術館」での取材だった。
この美術館は今や「原画の殿堂」となっており、2020年末までには矢口氏の代表作である『釣りキチ三平』をはじめとする全作品、『ゴルゴ13』(さいとう・たかを)、『YAWARA!』『20世紀少年』(浦沢直樹)、『子連れ狼』(小島剛夕)など、錚々たるマンガ家約180人の原画、約40万点が収蔵されている。日本はもとより世界でも類を見ないこの美術館とともに、矢口氏が晩年に取り組んだ意味とは何だったのか。
長く読み継がれる『釣りキチ三平』
JR奥羽本線の、ローカル列車しか止まらない十文字駅から車で15分。バブル経済の名残を残すような重厚な2階建て建築の建物がある。これが横手市増田まんが美術館だ。「マンガを美術館に入るような芸術にしたい」と考えた矢口氏が、生まれ故郷の旧増田町(現在の秋田県横手市)に働きかけたことがきっかけで、1995年に生涯学習施設の一角としてオープンした。
開館最初の企画は、矢口氏が師と仰ぐ手塚治虫と2人の原画を展示する「二人展」だった。その後、旧増田町が2005年に町村合併で横手市に組み入れられるなどの事情で一時活動が停滞したが、2019年に「原画の殿堂」としてリニューアルオープンした。
ここで矢口氏の人生を振り返ってみたい。現在の横手市増田町狙半内(さるはんない)で貧しい農家の長男として生まれた。狙半内は奥羽山脈の山間にある狭隘な土地だ。家の手伝いをしながら手塚治虫に憧れてマンガを描き、釣りに興じる毎日ながら、学校では優等生を通し、苦学して高校に進学、地方銀行に就職した。いわば地方の「エリート」だった。