社会の豊かさや発展には「理系」の情報発信が不可欠

 アメリカの生物学者のエドワード・O・ウィルソンは、「バイオフィリア(生物愛)」、すなわち人間には自然が豊富で生き物がたくさんいる環境を愛する本性があるといっています。そのバイオフィリアが一番フィットする場所は山と谷と水辺と湿原がある場所だとウィルソンは記しています。アフリカで人類が誕生して以来変わらない人間が一番好きな場所の形というわけですが、それはまさに16号線沿いに並ぶ「小流域」の地形そのものです。

 16号線が走る首都圏の地形は実にユニークで複雑です。関東平野をつくった巨大な古利根川がつくった渓谷にいくつもの大きな川が流れ込み、それが遠浅の東京湾になりました。氷期と間氷期を経て、海面が上昇と後退を繰り返し、大きな川沿いにはいくつもの台地ができあがりました。

 さらに、プレート運動によって、リアス式海岸が並び、急峻な土地が先端部にある三浦半島と房総半島という2つの半島が突き出し、黒潮とぶつかりました。結果として今16号線が通っているエリアには、人類が生まれてからずっと好きだった地形である小流域が台地と丘陵の縁に無数に形成され、数珠繋ぎのようにぐるりと連なっています。

 小流域には小さな地形の中に人間が暮らすためのすべてがワンセットで揃っています。流域の高台では雨に降られても洪水に遭わずに暮らすことができるし、谷の源流ではきれいな水がすぐ手に入る。谷沿いを降りれば低地に小さな湿原ができる。農業とりわけ田んぼつくるのに向いています。

 また、水辺には他の動物が来るわけですから狩りにも向いている。谷は必ず大きな川や海につながる。船に乗って移動がしやすく、海辺ならば、河口には干潟ができて、貝やカニやエビや魚を捕って漁もできる。これらのことを考えると、この16号線の地形に日本人が旧石器時代からずっと住み続けていたのは地形から見ると必然だった、といえるのではないかと思います。

──現在、東京工業大学ではどのようなことを教えていらっしゃるのでしょうか。

柳瀬:私はもともと学者ではありません。2018年まで日経BP社で記者、編集者、広告プロデューサー仕事をしていました。2018年4月から東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院、かつて教養課程といわれたところでメディア論を担当しています。

 現代は科学と技術の情報発信が非常に重要な時代です。東日本大震災の原発事故や今回のコロナウイルスで明らかになったように、科学技術の現場の人が説明責任を負っていて、彼らが情報を発信しないと我々は正確な情報を知ることができません。

 福島第一原子力発電所の所長だった吉田昌郎さんは東京工業大学の卒業生ですし、今も新型コロナウイルス感染拡大の中で一番重要な情報を発信し続けているのは、西浦博先生や尾身茂先生といった理系の専門家の方たちです。科学者や技術者の方に当事者として、いかに正確に情報発信をしていただけるか、それが我々の社会の安定や発展や幸せと直結しています。将来その担い手になるかもしれないのが東京工業大学の学生たちなんです。

 メディア論というと、文系の学部のジャーナリズム論やメディアマーケティング論といった内容をイメージされるかと思います。しかし、私が考えているのは、メディアにおいて大きな役割を果たしているのはむしろ理工系ではないか、ということです。

 東京工業大学は理工系の専科大学です。約30年間メディアの現場で雑誌や書籍、webメディアをつくってきて痛感したのは、メディアはテクノロジーから生まれ、テクノロジーに頼っているということです。米アップルのiPhoneのように新しいサービスやメディアというのは、必ず科学と技術が作り出すもので、それに従来のコンテンツを乗せて走らせていく。ですから、科学技術を抜きにメディアの話をすることはできないと考えています。