芸の中身がなく、海綿状にスカスカでも、カネは儲かり世事は回る。

 米国共和党のドナルド・トランプ政権が最たるものであった1990年代以降のポストトゥルースや、現在日本が直面している、かなり重篤な教育の危機も同じでしょう。

「政策の中身がなく、海綿状にスカスカでも、メディアという化け物が元凶となって、カネは儲かり世事は回る」

「勉強の中身がなく、海綿状にスカスカでも、テストという化け物が元凶となって、カネは儲かり受験に合格する」

「修学の中身がなく、海綿状にスカスカでも、学歴その他思考停止の化け物が元凶となって、仕事現場は見かけ上回転、人事採用も決まってしまう」

 というようなことになってしまっては、未来を損ねてしまいます。

 林家こん平氏が落語をほとんど演じなかったのは、自分に基礎が不足していることをほかでもない本人が一番強く自覚していたからではないかと思います。

 明るく振る舞うようにみえて、素は大変に繊細な人柄であったと漏れ聴く、ご本人としては、生半可な芸を見せたりはせず「ちゃんら~ん!」というタレント営業で、自分も周囲もつつがなく「ヒト・モノ・カネ」が回転し、仕事が進んでいくことに、いわば一身を犠牲にした面があるように思われました。

 いろいろな意味で、無念であったと思います。

 教育やイノベーション全体も同様です。何となくつつがなく仕事現場が回転していくのが、ひとまずは大事となった瞬間、海綿状化現象は始まってしまう。

 そのようにしないために、何が有為か・・・と考えるとき、圓丈の落語教育同様「芸」ないし「芸術」あるいは「表現」といったことのもつ「嘘がつけない本質」「本物」が問われてくるのです。

 今回は紙幅が尽きました。稿を改めて考えてみたいと思います。