小池氏は、従来から「カイロ大学は何度も自分の卒業を認めている」と主張してきた。しかし、筆者が知る限り、同大学文学部日本語学科長のアーデル・アミン・サーレハ教授が、2017年に、ジャーナリストの山田敏弘氏の取材に対し「(小池氏は)1年時にアラビア語を落としているようだが補習でクリアしている」と回答したり、同じく石井妙子氏の質問に対して「確かに小池氏は1976年に卒業している。1972年、1年生の時にアラビア語を落としているが、4年生のときに同科目をパスしている」と回答した程度だ。

 この回答は嘘である。なぜなら、同居人女性が、当時のメモや手紙という物的証拠にもとづき、小池氏は1973年10月に2年に編入したと証言しているからだ。さらに石井妙子氏は、当時エジプトの別の大学に留学していた女性から裏付け証言をとっており、筆者も当時をよく知る別の日本人から裏付け証言をとっている。

父親のコネで2年生に編入

 小池氏は父親をつうじてコネがあった当時の副首相アブデル=カーデル・ハーテム氏のコネを使い、1973年10月にカイロ大学2年に編入したのである。この編入自体、編入資格を満たさない不正なものであったと考えられることは、「徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽」の第4回(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58869)で詳述した。

 さらにサーレハ氏の「小池氏は4年で1976年に卒業している」という回答は、小池氏自身の本の記述とも矛盾している。前述のとおり、小池氏は『振り袖、ピラミッドを登る』の中で、1年目に落第したと明記している。それならば制度上、卒業は早くても1977年になる。サーレハ氏は、小池氏が言っているとおりに回答したつもりだろうが、小池氏が日本で書いたり話したりしていることまでは調べていないようで、間の抜けた話である。

 ただ小池氏に関しては、カネかコネで、1976年から現在に至るまでのどこかで大学内の記録が書き換えられた可能性があり、サーレハ氏は単にそれを見て言っているだけなのかもしれない。

 実はこのサーレハ氏が、カイロ大学における小池氏の右腕なのである。同氏は、カイロ大学文学部日本語学科を卒業し、一橋大学の大学院で7年間学び、社会学の博士号を得ている。流ちょうな日本語を話し、『エジプトの言語ナショナリズムと国語認識』という日本語の著書もある。小池氏の熱烈な支持者で、4年前に筆者がカイロで会った際にも「小池さんはすごい。度胸がある。次の総理大臣になるかもしれない」と激賞していた。同氏のオフィスの廊下側の壁には、小池氏とのツーショットの写真が誇らしげに飾られていた。

アーデル・アミン・サーレハ 日本語学科長の部屋の廊下に面した壁に誇らしげ に飾ってある同氏と小池氏のツーショット(筆者撮影。プライバシー保護のため一部加工してあります)