4、学業に関する様々な嘘

 小池氏は、卒論の件以外でも様々な嘘をついている。嘘を嘘で塗り固めてきたため、もはや自分でも収拾がつかなくなっているようだ。これが小池氏の言うことが信じられない理由の4つ目だ。

(1)嘘の最たるものが首席で卒業したというものだ。これは都議会などで追及され、事実上撤回したが、小池氏は「卒業致した際に、教授からトップの成績だったと言われ、嬉しくてそのことを書いた」と記者会見や都議会で言い訳をしている。

 しかし、小池氏がフジテレビの番組で見せた卒業証書類には、成績は合格点の下から2番目の「ジャイイド(good)」と書かれており(カイロ大学の合格点は4段階ある)、あれが仮に本物であるとしても「成績はトップであった」と言われるはずがない。

 そもそも小池氏のアラビア語は、「とてもよい面会」を「美味しい面会」と言い間違えたり、クウェートの女性大臣と正則アラビア語で話そうとしてしどろもどろになったり、カダフィ大佐訪問時はほとんど会話にならないといった、「お使い」レベルで、到底大学教育に耐えられるものではない。大半がエジプト人の約150人の同級生を差し押さえ、あのアラビア語と「ジャイイド」の成績で首席と言うのは、嘘をつくにもほどがある。

(2) 小池氏は自著『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の58ページに、1年目に落第し、次の学年に進級できなかったとはっきり書いている。エジプトの国立大学では、科目を3科目以上落とすと、次の学年に進級できない。したがって小池氏の場合、卒業に最低で5年かかり、早くても1977年となる。当たり前の話だが、エジプトも日本同様、1年落第すれば、卒業は1年延びる。この点は複数のエジプトの国立大学の卒業生にメールで確認をとったので、間違いはない。したがって、1年目に落第したにもかかわらず、1976年10月に4年で卒業したという小池氏の学歴は、制度上まったくあり得ない。

 エジプトの国立大学では、3年連続で落第すると退学になる(他学部へ転部を申請したり、大学の講義に一切出席できず、2年間を上限として落とした科目の試験を受けるという道もあるが、簡単ではない)。小池氏は1973年10月に2年に編入し、その後毎年落第し、76年5月の学年末試験で3度目の落第をしたので、退学の瀬戸際にあったと考えると辻褄が合う。

(3)これら以外にも小池氏は様々な嘘をついている。全部挙げるときりがないので、主要なものだけを記す。昭和51年10月22日付の「東京新聞」の小池氏のインタビュー記事では、同年9月にカイロ大学を卒業したと書かれているが、小池氏が卒業証書だとしている文書が仮に本物だったとしても、「10月に追試を受け、12月29日に学位を与えることが決まった」と書かれている。『振り袖、ピラミッドを登る』の奥付の著者略歴で、「1971年カイロ・アメリカ大学・東洋学科入学(翌年終了)」と、存在しない学科を終了したと書いている。都議会で「何度も卒業証書を公開した」と繰り返し答弁したことも、「卒業証書類を、複数のアラブの専門家が判読し、本物と認めた」という答弁も、前述のとおりまったくの嘘である。