南洋日本人町
この交易を担った人々の中には日本人もいました。一攫千金を夢見て海外に渡った日本人たちです。彼らは、居留地で集落を築き、「南洋日本人町」と呼ばれる街を作り上げながら、日本やポルトガル商人との貿易の仲介を行ったのです。
例えば、ベトナム中部のフェイフォ(ホイアン)、トゥーラン(ダナン),タイのアユタヤ、ルソン島のマニラ郊外のディラオとサン・ミゲル、カンボジアのプノンペンとピニャールーなどが有名です。それ以外にも、多数の都市に日本人は移住しました。
マニラにも、日本人の居留地はありました。この都市はスペインのガレオン船の出入港で、メキシコ銀がもたらされていた街でもあります。そのことを考えるなら、日本人のネットワークは、ポルトガル人だけではなく、スペイン人とも関係していたことがわかります。
日本人は、東南アジアの町で活躍しました。そのなかには、シャムで活躍した山田長政、マニラで最期を迎えたキリシタン大名・高山右近などの著名人もいます。戦国時代とは領土拡張、さらには交易拡大の時代でしたから、戦国時代の余波があった江戸時代初期に、領土的野心を抱いたり経済的成功を夢見たりした日本人が、東南アジアに渡航したことは、何の不思議もありません。
南洋日本人町が築いたネットワークは、ゴアを中心とするポルトガル商人のネットワークの一部を形成していたのです。アジア世界は、このようにしてつながっていったのです。