*写真はイメージです。

 15世紀中ごろからヨーロッパ人の「大航海時代」が始まります。この時代のことを欧米では「発見の時代」とも呼んだりします。それはヨーロッパ人によってインド航路やアメリカ大陸が「発見」された時代だったからです。ただし、ヨーロッパ人がアジアを「発見」し、この地での交易を盛んにすることができたのは、すでにアジア人自身がアジア域内の交易を活発にし、交易のためのインフラを整えていたからでした。

 そのことは、1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着したとき、船頭を務めたのがムスリム(イスラーム教徒)商人だったということからも明らかでしょう。

「交易の時代」の東南アジア

 オーストラリアの歴史家で、東南アジア海事史の世界的権威であるアンソニー・リード氏によれば、1400〜1462年は東南アジアがイスラーム化していった時代と言います。この間に、マラッカ、スマトラ、モルッカ諸島のティドレ島、ブルネイ、マニラ、チャンパー(現在のベトナムにあった国)などがイスラーム化しています。

 さらにリード氏は、1450~1680年は、東南アジアにとって「交易の時代」だったとしています。ムスリム商人によって、東南アジアの交易はかつてなかったほどに活発になっていったのです。

 しかし同時に、当時の東南アジアにとって最大の市場は明朝時代の中国でした。その中国は14世紀後半から2世紀にわたって人口を急激に増加させていきました。巨大市場がさらに巨大化したわけです。

 つまり、この時代の南アジアの経済成長はムスリムと中国人によって支えられたとすることもできます。彼らの活躍により、東南アジアは次第に一つの交易圏として統合されるようになっていきます。

 実はこの統合については、もう一つ、東アジアの小さな国が大きな役割を果たしていました。琉球です。果たして東南アジアでの交易において、ムスリム商人と琉球人は、どのような関係にあったのでしょうか。