昔はトライが3点でコンバージョンキックが2点だったが、次第にトライが重要視されるようになり、今ではトライだけで5点も入る。

 こうして、19世紀後半にサッカーとラグビーという2つのスポーツの基本形が生まれた。

厳しい階級社会の中のサッカーとラグビー

 最初にFAやRFUを結成したのは、パブリックスクールや大学を卒業したエリート階級の青年たちだった。彼らには余暇の時間がたっぷりあったから、純粋な趣味としてフットボールをプレーしていた。

 だが、19世紀後半になると労働生産性が向上したため、日曜日以外に土曜日の午後も工場が休日となる。そのため工場労働者の間でもフットボールが盛んになっていったのだ。

 とはいえ、上流階級と比べれば余暇の時間はごくわずかで、練習や試合のために工場を欠勤すると給料がもらえず、所得が減ってしまう。そこで、チームを強化するため、クラブは優秀な選手を金銭的に援助するようになり、ついにはクラブから給料を受け取るプロ選手が誕生する。

 英国は厳しい階級社会だった。そのため、上流階級の人たちは労働者階級出身の選手と一緒にプレーすることを嫌い、FAもRFUもプロクラブの加盟を認めようとしなかった。だが、その後、サッカーの統括団体であるFAはプロの存在を公認するようになる。一方、ラグビーの統括団代RFUは最後まで労働者階級のプロクラブを認めなかった。そのため、次第に「サッカーは労働者のスポーツ、ラグビーは上流階級のスポーツ」と見なされるようになっていったのだ。

「ラグビーは紳士が行う野蛮なスポーツ、サッカーは野蛮人が行う紳士のスポーツ」などと言われるのには、こんな理由があったのである。