「クルマエビの父」が切り開いた世界のエビ養殖

世界を渡り歩くグローバル食材、エビ(前篇)

2019.10.11(Fri)漆原 次郎

 イセエビの幼生を脱皮させることに成功したのは、1958(昭和33)年のこと。静岡県水産試験場と東京大学の共同研究で、野中忠、大島泰雄、平野礼次郎の3氏が、イセエビ幼生の餌を突きとめたのである。その餌はプランクトンの一種「アルテミア」の幼生であり、これをイセエビ幼生に与えて1個体で2度の脱皮を成功させた。その後、全国各地の研究所で、他にも餌になるものが次々に見出されていった。

 そして1987(昭和62)年、北里大学の橘高二郎が、イセエビ科ミナミイセエビの幼生を初期段階のフィロゾーマ期から、次の段階のプエルルス期へと変態させる「幼生の完全飼育」に成功した。翌1988(昭和63)年には、三重県水産技術センターの山川卓らのグループが、イセエビで幼生から稚エビまでの飼育を果たしている。各研究では、ムラサキイガイの生殖腺を餌として選定したことや、水質管理を十分に行ったことが成功要因として挙げられている。

 その後も、研究者たちのイセエビの養殖実現化に向けて挑みつづけているが、幼生の期間が300日以上と長いこともあり、まだ実現していないのが現状だ。

クルマエビは「父」の功績により養殖が実用化

クルマエビ。体の各節に縞があり、体を巻くと縞が車輪のように見えるため「車海老」とよばれる。本州東北沿岸以南に分布し、養殖もされている。

 クルマエビのほうは、戦前より養殖への道が確実に開かれていった。その成果は、「クルマエビの父」ともよばれる水産学者の藤永元作の功績なしにはなし得なかったものだ。

 藤永は1903(明治36)年、山口県萩町(現萩市)に生まれた。1933(昭和8)年に東京帝国大学農学部を卒業すると、日本水産の前身である共同漁業に入社。下関市の早鞆水産研究所に所属し、クルマエビの研究に着手した。明治時代からクルマエビの飼育が行われていた長崎県の天草地方にも出向いてクルマエビの生態を研究し、それらの成果を養殖技術の確立に向け注ぎ込んだ。そして早くも1934(昭和9)年にクルマエビの人工孵化を成功させている。

 1940(昭和15)年には人工孵化したクルマエビを成エビにまで育成することにも成功した。人工孵化から育てた成エビに産卵させて、その卵をもとにふたたび人工孵化させることを「完全養殖」というが、藤永はその可能性を切り開いたのである。

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