大根の煮物。ほかに漬物、おろし、サラダなど、料理の種類も多様。

 立冬を過ぎて寒さが増すと「大根」の出番が多くなる。おでんでの存在感はもちろん、ブリ、イカ、牛肉などとの相性もよく、煮物全般に大活躍する。頬張れば、柔らかい歯ざわりのとともに、熱い出汁がしみ出してくる。

 大根が主役にもなるこの季節、あらためて日本における大根の歩みを追ってみたい。いまは、根の上部が緑色を帯びた「青首大根」が私たちの抱く大根像かもしれない。だが、各地にはゆかりの地名などを冠した大根が多様に存在してきた。

 今回はそうした「大根の多様性」をテーマに歴史と現代科学を見つめてみたい。前篇では、日本の大根の歴史を追う中で、大根の多様性がどのように生まれたのかを探ってみる。そこには、大根という「大きく重たい作物」故の理由も見えてくる。後篇では、先端科学の視点から追ってみたい。2010年代に「ダイコンゲノム」が解読され、遺伝子レベルで大根の多様性の解明が進んでいるという。研究者に話を聞くことにする。

日本に古くからの歴史あり

 日本の大根は大陸から伝わってきたとされる。大根の種は腐りやすいため、化石として遺りにくく「何年前の遺跡から発掘」といった成果は上がってこない。ただし、土中の花粉には大根の属するアブラナ科のものが多く見つかっており、稲作より前に大根は日本に広まっていたとする説もある。

 大根についての最古の記録は、712年成立の歴史書『古事記』における仁徳天皇の歌にある。

<つぎねふ山城女の木鍬持ち打ちして淤富泥(おほね) 根白の白腕(しろただむき) 枕かずけばこそ 知らずとも言わめ>

 この歌は皇后に向けて詠んだもの。「淤富泥」が大根を指す。「木の鍬で育てた大根のように白いあなたの腕を枕にしたことがなければ、知らないと言うだろう」と歌っている。昔は「大根」を身体のよい喩えに使っていたようだ。仁徳天皇が在位していたとされる4世紀、すでに木鍬で大根が育てられていたこともうかがえる。