現代でも小判が「贈り物」に用いられているとは驚きだ

(柳原 三佳・ノンフィクション作家)

 10月2日に行われた関西電力の記者会見。

 社長や会長自らの言葉によって次々と明らかになる高額な金品受領の実態には、怒りを通り越して唖然としてしまいましたが、「菓子折りの下の金貨」や「金の小判」なるものが登場したときには、さすがに耳を疑いました。

 はからずも「越後屋、おぬしもワルよのう・・・」という、あのお決まりのセリフが脳裏に渦巻き、時代劇のワンシーンを見ているかのような錯覚に陥ってしまったのですが、同じように、あのフレーズを頭の中で反芻された方は多いのではないでしょうか。

幕末の大問題は「日米通貨の不公平な交換比率」だった

 大判や小判といった金貨は、もともとは江戸時代の日本に流通していた貨幣です。

 徳川家康が「三貨制度」、つまり、金、銀、銅という3種類を使って貨幣制度を統一し、全国に広がっていったのです。

 ところが幕末になって、異国人が日本に頻繁に訪れるようになると、幕府はある大きな問題に直面することになります。

 この当時、日本の金銀貨と外国の貨幣の交換比率は平等とは言えませんでした。つまり、アメリカ人が使っているドルを、日本で良質の小判に換金すると、それだけで彼らはとても得をし、逆に日本からは良質の金が流出していく、という理不尽な現実があったのです。