江戸時代、日本の小判は金の含有量が多く、良質な金貨だった。だが幕末期、異国との貨幣の交換比率は日本にとって著しく不利だった。佐野鼎が随行した万延元年遣米使節団には、その不平等な交換比率を改めさせるという役目も課せられていたのだった。