それでも、若いころは相当飲んだようだ。小沢の40代半ばごろの酒量はすさまじく、『一を以って貫く 人間 小沢一郎』(大下英治、講談社文庫)にこんな記述がある。

<小沢は、学生時代から酒好きであった。このころ(注・40代半ば)は、毎晩、一升は軽く飲み干していた。日本酒、ビール、ウイスキー、紹興酒となんでもござれである>

 酒好きが酒を抑えるのは強固な意志が必要になる。小沢は、好きな酒を控えて体調を維持し、狂わない判断力で数々の政局を制してきた。

 1969年(昭和44年)12月に初当選した小沢は、年が明ければ衆院在職50年を達成する。在職50年は、憲政史上6人目だ。酒との距離をうまく取りながら、政治生命を保ってきた好例だろう。

野中広務は「借金解消」のために酒をやめた

 下戸かどうかはともかく、首相を務めた大平正芳、「ハマコー」の愛称で知られた浜田幸一など酒を飲まない政治家は少なくない。現役では官房長官の菅義偉も一切飲まないことで有名だ。

 官房長官、自民党幹事長などを歴任し、「政界の狙撃手」と恐れられた野中広務は、一滴も飲まなかった。その理由は明快で、少々長くなるが、野中の著書『私は闘う』(文春文庫)から引用する。

<酒をやめたのは昭和三十三年、園部町の町長になったのがきっかけだった>

<当時の町の予算は一般会計で三千七百万円。引き継いだ料理屋の借金が三百五十万円もあった。中身をみると、役場の起工式や竣工式がある度に料理屋に行って、役場の職員がひとり入れば(中略)、全部役場に勘定がついていた>

<自分はこれを機に酒は飲まないということを内外に宣言した。町長が酒を飲めば役場の関係する宴会が多くなる。まず、これから改めていかなくては、財政赤字など解消できるわけがない>

2000年12月1日、「加藤の乱」を乗り切った直後、自民党幹事長を辞任した際の野中広務氏(写真:ロイター/アフロ)

「酒をやめた」といっているのだから、いわゆる下戸ではないのだろう。いったん酒を飲まないと決めた野中の意志は終生貫かれた。政局の際の発言力、行動力、判断力の面で、極めて鋭かった野中は、酒に酔うことがなかった。適度に飲んでいた小沢のコントロール術も見事だが、「絶対に飲まない」という野中のやり方も、常人にはマネできない芸当だ。