「人材の育成が最も重要な価値の創造なんだ。だから私はあなたたちに今教えるのだ」と小一時間ほど熱っぽく語られ、3週間ほどのサマースクールは決定的な経験になりました。
また、2か月後、マエストロの訃報を聞いたときには、訳が分からなくなりました。
でも、彼は分かっていたんですね。余命が限られていることを。それで、残りのすべてのエネルギーをつぎ込んで私たちに教えを遺してくれていた。
そんなことはレッスンの最中、学生だった私たちは予想だにしませんでした。
いったい何が失われたのか?
バーンスタインが亡くなってほぼ30年、現在の私はまだ彼の年齢には達してしませんが、それなりに一人の音楽家としてその間の人生を過ごし、また30年分、若い人たちが育ってきた風景の変化も目にしながら、私なりによく分かることがあります。
人材育成こそが、本当の意味での創造であること。
人が根絶やしになったとき、その芸術は滅ぶこと。
全くその通りです。
そして、今回の「京都アニメーション殺人放火事件」が、どれほど罪深い犯罪であるか、単なる暴力事件を超えて、アニメーションという表現そのものに、どの程度、回復困難なダメージを与えてしまったのか。
義援金が20億円以上集まったと報道されました。厚志は厚志で、大切なことです。
しかし、どれだけお金を集めても、20年、30年と積み重ねてきた経験とノウハウ、人と人のつながりやチームワークを買うことはできません。
40年かかって作ってきたものを、次の40年で再び作り直すことができるか。誰にも分からないし、そもそも、一人の指導者がいるか、いないか、といったことが決定的で、一般には二度と取り返しがつくことではありません。
そういう観点から、個人情報を基本的に消したうえで、芸術の世代継承という観点から続稿を検討したいと思います。
(つづく)