2019年の夏は、広島や長崎の日も含めて、ほとんど核とか平和といった議論ではなく「あいちトリエンナーレ」事件など、別の話題で前倒しの原稿が続いてしまいました。
そこで、終戦の日くらいはオーソドックスに(?)、またアカデミックに、平和を巡るトピックスをお送りしたいと思います。
ミュンヘン工科大学との協働プロジェクトとして「記憶」と倫理を巡る問題を長らく扱ってきましたが、昨今はそれにAIとデータマイニングを関係して議論しています。
例えば「アンネ・フランクを売ったのは誰か?」という議論があります。
ご存じかと思いますが「アンネの日記」で知られるアンネ・フランク一家は、アムステルダム市内の「西教会」に面した商家の<裏側>に2年間潜んでいました。
ところが1944年8月4日、突然ナチスのSSに踏み込まれ、アムステルダムからオランダ国内の「ヴェスターボルク」通過収容所を経てアウシュヴィッツ、さらにベルゲン・ベルゼンと移送されて、解放の1か月前にベルゲン・ベルゼンで命を落としました。
来年で75回忌になります。実は今年の6月12日がアンネ・フランクにとっては90回目の誕生日にあたり、生前の彼女を知る人も、数は減ってしまいましたが、まだ確かに現存しており、彼女の義妹エファ・シュロースとは私自身も仕事を共にしています。
日本国内では「アウシュヴィッツはなかった」みたいなとんでもない話が普通にメディアに載り、サイモン・ヴィ―ゼンタール・センターから抗議を受けて雑誌が廃刊になったりしています。
しかし、しばらくすると「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のか、そうした言説が繰り返してメディアに登場し、呆れた仕儀を繰り返すのを目にします。
アンネ・フランク一家はナチスに捕まったために、父親のオットー・フランク以外のすべての家族メンバーが命を落としました。誰かが密告したためです。