反日デモが激しさを増す韓国で、日本大使館前に据えられた少女像のところで日本への反発を強める韓国人(写真:AP/アフロ)

 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」に関して、税金を元手に芸術に責任を持つ立場から具体的な指摘を続けてきました。

 そして終戦の日である8月15日、芸術監督の津田大介さん名義でまとまった報告(https://medium.com/@tsuda/あいちトリエンナーレ2019-表現の不自由展-その後-に関するお詫びと報告-3230d38ff0bc)が出されたのを目にしました。

 そこで、以下では津田さん個人にも、また当該展示のコンテンツ内容にも一切触れず、あくまで淡々と、公の芸術事業が満たすべき最低限の条件のみに限定して、これから設置される第三者委員会に求められる基本的な事柄を、芸術側の観点から記そうと思います。

 現在、この事案に関しては日頃芸術と無関係な社会学者や批評家、さらにはワイドショーコメンテータや政治家などが、各自の思い込みならびに思惑で多種多様な意見を開陳しているのを目にします。

 そして、その中のほぼすべてが、一番重要な問題と無関係で、素っ頓狂に映ります。

 実のところ、このトリエンナーレに関しては、美術の関係者は、余計な火の粉を浴びたくもないし、関わって得になることはないから、口をつぐむ傾向にあります。

 しかし、私は畑違いのアーティストで、ここで「王様が裸だ」と指摘しても特段失うものはありません。

 そこで、ごく当たり前の常識に照らして、本格的におかしいポイントを3点、以下では指摘しておきます。