頼れるチャンネルがたくさんあれば

――医療者と患者さんが信頼関係を築けるように、できるだけ早いうちからコミュニケーションをとりたくても、どこでできるのかわからないのではないでしょうか。昔は地域に根差したお医者さんがいて、子どもの時から家族みんながお世話になり、大先生から若先生になっても、お互いが知っている関係というコミュニティ性があったので、信頼関係を築くことが容易だったのでしょうが。

西 そんなコミュニティが理想的なかたちだと思いますが、現在の日本では地域に根差すことも難しい。そこで、本の中で「緩和ケアという言葉を使わずに緩和ケアをする」と書きましたが、「言の葉」を集めるのは、病院の外来でなくてもできるんじゃないか、と考えて用意したのが「暮らしの保健室」です。学校の保健室って、病気や怪我以外にも、悩み相談をしたり、心がしんどいときに駆け込んだりしますよね。その感覚で、いつも生活している町に保健室があればいいなと。ふらりと入れるカフェに緩和ケアの専門教育を受けた医療者(コミュニティナースなど)がいて、病気のことや生活のこと、介護の悩みを聞いてくれるんです。残された家族の心のケアも緩和ケアに含まれますが、患者がいなくなると病院に行くことはできません。でも、町の保健室にはいつでも入れますから、地域の中で緩和ケアができます。

西智弘医師は2017年に「暮らしの保健室」を運営する「一般社団法人プラスケア」(https://www.kosugipluscare.com/)を設立した (撮影:幡野広志)

――コミュニケーション、コミュニティなどの中で「つながっていく」チャンネルがたくさん用意されていれば、患者は選択肢が増えるし、家族も助けを求められますね。

西 皆でやっていこうという感覚が大事なんです。医師は万能ではないし、看護師が味方とは限らない。がんによって失われてしまった生きる力を、どうやって再構築するかを医療者だけでなく、あらゆるところで考えられるといいと思うんです。保健室やピアサポート、心理カウンセリング、信仰や趣味仲間もコミュニティです。その患者さんにとって何が合うのかをすり合わせていけば、チャンネルは増えますね。

死はタブーではない。でも、今じゃないかもしれない

――誰もがいつかは死を迎えるのに、急に差し迫ったこととなると「早く終わらせてくれ」と、患者本人も家族も拒否反応を起こしてしまうように見えます。まだ死の段階ではないところで絶望してしまう人に、緩和ケアは何ができるのでしょうか。

西 死をタブーにすることが、生きる力までも奪ってしまうことがあります。本の帯に血液がん患者でもある写真家・幡野広志さんが書いて下さっているように、医師は患者が知らない世界を知っています。僕は、医師としてがん患者さんの未来がある程度はわかります。本の中に出てくるキクチさんのように、「早くお迎えが来ないかなあ」と言われる患者さんには、「まだ来ないですねえ」と答えることもあります。まだ死を迎える段階ではないのに、患者さんが絶望して「早く死にたい、安楽死をしたい」と口にするようになっても、こちらからは否定はしませんが、どうなるのが嫌なのかを聞いて、それを避ける方法を一緒に考えます。その先で「もう耐えられません」と言われたら、「これまでよくやってこられましたもんね、じゃあ眠って過ごしましょうか」と言って鎮静(セデーション)することもできます。でも、そこに至るまでには患者さん自身がどういう人なのか、どう生きたいのかを教えてほしい。医師にわからない世界を教えてほしいんです。僕たちは元気な頃の患者さんを知りえませんが、なるべく病人ではない時のその人を念頭に置いて、接したいんです。

安楽死を選ぶという生き方も、アリ

――しかし、がん患者の自殺はかなり多いですし、国内での安楽死の法制化を求める声も増えてきています。医療者としては止めたい流れだと思うのですが。

西 医師の価値観としては、安楽死も自殺もしてほしくないなあと思いますが、死にたいという気持ちは、否定しません。ただ、ゴールはなくても対話を続けたい。その中で「あぁ、あなたの生きるってこういうことなんですね」とか見付けられることもあるかもしれない。とにかく、「死ぬ時までは生きましょう、そこまで、一緒に考えていきましょうね」と言います。

 僕は今回の本の中で「安楽死特区」を提案しています。その中には医療だけでなく生活を担う様々な人や、専門家がいて、患者さんとその家族を孤独にしないコミュニティを考えました。残された家族のケアや、安楽死を実施する医療者のケアも含まれています。安楽死特区は、あらゆるチャンネルで対話を続けられるのが条件なんです。そうやって対話を重ねてもなお安楽死を選んだのなら、それがベストな生き方だと皆が信じられるのではないでしょうか。


※『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』の印税は、全て「マギーズトーキョー」および「一般社団法人プラスケア」に寄付される。

西 智弘(にし ともひろ):川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター腫瘍内科/緩和ケア内科 医長(日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医) 一般社団法人プラスケア代表理事、リレーショナルアーティスト 2005年北海道大学医学部卒。室蘭日鋼記念病院で家庭医を目指して初期研修中、がんで苦しむ患者さんが「魔法のように」元気になっていく緩和ケアの技術を目の当たりにして緩和ケア医を志す。2007年から川崎市立井田病院で総合内科/緩和ケアを研修したが、終末期のみを中心とした当時の緩和ケアの関わりに限界を感じ、抗がん剤治療を学ぶことに。2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科を研修。2012年から川崎に戻り、抗がん剤治療と緩和ケアが統合された診療システムを構築。在宅診療にも関わり、「抗がん剤治療から在宅まで」を実践している。また一方で、一般社団法人プラスケアを2017年に立ち上げ代表理事に就任。「暮らしの保健室」「社会的処方研究所」の運営を中心に、地域での活動に取り組む。2018年から、リレーショナルアーティストとして「奢られる人奢る人」「まちへの手紙」「花言葉」などの作品を発表している。著書に『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』(中外医学社)、『「残された時間」を告げる時』(青海社)がある。 【Twitter】@tonishi0610 【Web】https://www.kosugipluscare.com/ (撮影:幡野広志)