頼れるチャンネルがたくさんあれば
――医療者と患者さんが信頼関係を築けるように、できるだけ早いうちからコミュニケーションをとりたくても、どこでできるのかわからないのではないでしょうか。昔は地域に根差したお医者さんがいて、子どもの時から家族みんながお世話になり、大先生から若先生になっても、お互いが知っている関係というコミュニティ性があったので、信頼関係を築くことが容易だったのでしょうが。
西 そんなコミュニティが理想的なかたちだと思いますが、現在の日本では地域に根差すことも難しい。そこで、本の中で「緩和ケアという言葉を使わずに緩和ケアをする」と書きましたが、「言の葉」を集めるのは、病院の外来でなくてもできるんじゃないか、と考えて用意したのが「暮らしの保健室」です。学校の保健室って、病気や怪我以外にも、悩み相談をしたり、心がしんどいときに駆け込んだりしますよね。その感覚で、いつも生活している町に保健室があればいいなと。ふらりと入れるカフェに緩和ケアの専門教育を受けた医療者(コミュニティナースなど)がいて、病気のことや生活のこと、介護の悩みを聞いてくれるんです。残された家族の心のケアも緩和ケアに含まれますが、患者がいなくなると病院に行くことはできません。でも、町の保健室にはいつでも入れますから、地域の中で緩和ケアができます。
――コミュニケーション、コミュニティなどの中で「つながっていく」チャンネルがたくさん用意されていれば、患者は選択肢が増えるし、家族も助けを求められますね。
西 皆でやっていこうという感覚が大事なんです。医師は万能ではないし、看護師が味方とは限らない。がんによって失われてしまった生きる力を、どうやって再構築するかを医療者だけでなく、あらゆるところで考えられるといいと思うんです。保健室やピアサポート、心理カウンセリング、信仰や趣味仲間もコミュニティです。その患者さんにとって何が合うのかをすり合わせていけば、チャンネルは増えますね。
死はタブーではない。でも、今じゃないかもしれない
――誰もがいつかは死を迎えるのに、急に差し迫ったこととなると「早く終わらせてくれ」と、患者本人も家族も拒否反応を起こしてしまうように見えます。まだ死の段階ではないところで絶望してしまう人に、緩和ケアは何ができるのでしょうか。
西 死をタブーにすることが、生きる力までも奪ってしまうことがあります。本の帯に血液がん患者でもある写真家・幡野広志さんが書いて下さっているように、医師は患者が知らない世界を知っています。僕は、医師としてがん患者さんの未来がある程度はわかります。本の中に出てくるキクチさんのように、「早くお迎えが来ないかなあ」と言われる患者さんには、「まだ来ないですねえ」と答えることもあります。まだ死を迎える段階ではないのに、患者さんが絶望して「早く死にたい、安楽死をしたい」と口にするようになっても、こちらからは否定はしませんが、どうなるのが嫌なのかを聞いて、それを避ける方法を一緒に考えます。その先で「もう耐えられません」と言われたら、「これまでよくやってこられましたもんね、じゃあ眠って過ごしましょうか」と言って鎮静(セデーション)することもできます。でも、そこに至るまでには患者さん自身がどういう人なのか、どう生きたいのかを教えてほしい。医師にわからない世界を教えてほしいんです。僕たちは元気な頃の患者さんを知りえませんが、なるべく病人ではない時のその人を念頭に置いて、接したいんです。
安楽死を選ぶという生き方も、アリ
――しかし、がん患者の自殺はかなり多いですし、国内での安楽死の法制化を求める声も増えてきています。医療者としては止めたい流れだと思うのですが。
西 医師の価値観としては、安楽死も自殺もしてほしくないなあと思いますが、死にたいという気持ちは、否定しません。ただ、ゴールはなくても対話を続けたい。その中で「あぁ、あなたの生きるってこういうことなんですね」とか見付けられることもあるかもしれない。とにかく、「死ぬ時までは生きましょう、そこまで、一緒に考えていきましょうね」と言います。
僕は今回の本の中で「安楽死特区」を提案しています。その中には医療だけでなく生活を担う様々な人や、専門家がいて、患者さんとその家族を孤独にしないコミュニティを考えました。残された家族のケアや、安楽死を実施する医療者のケアも含まれています。安楽死特区は、あらゆるチャンネルで対話を続けられるのが条件なんです。そうやって対話を重ねてもなお安楽死を選んだのなら、それがベストな生き方だと皆が信じられるのではないでしょうか。
※『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』の印税は、全て「マギーズトーキョー」および「一般社団法人プラスケア」に寄付される。