――がんをなくせない、治ることはないとわかったら、その時点で死んだことになってしまうように感じるでしょうし、周りもそのように扱うこともありますね。そうすると身体的な痛みだけでなく、いま生きている自分を誰にもわかってもらえないという「心の苦しみ」も出てきます。
西 つらい時に一人ぼっちだと感じると、よけいにつらくなりますね。たとえば、慢性的な胃痛に悩んでいる人が、しんどい時にだけ診てもらう医者に「これを1週間飲んでおいてください」と痛み止めを出されただけでは、孤独じゃないですか。たとえそれが正しい処置でも、「これから先はどうしよう、痛みとずっと付き合っていくのかな・・・」と1人で考えなきゃいけない。つらいですよね。そこにあなたの話を聞いて、わかってくれる人が現れたらどうします? それが怪しい自由診療や、詐欺師であっても1人じゃなくなるから、つらくなくなるでしょうね。
緩和ケアは、その人がどうしたいかという生きる力を取り戻すための医療です。緩和ケアでは、痛みを10段階に分けて、耐えられない痛みを10とします。7~8の痛みで苦しんでいる人の痛みをすぐに0にすることは、難しいこともあります。でも、せめてそれが3になれば「痛みはあるけれど何とかやっていける状態」になる。ただ、患者さんがそれをよしとするかどうかは、医師との信頼関係が必要なんですね。
さっきの胃痛の話だと、「治りはしないけど、別のやり方もありますよ」とか、「痛みが出ない間にこれをしましょう」というような話をするだけで、患者さんは1週間、服薬をがんばれると思うんです。それをポイと薬を出すだけだったら、患者さんが納得できなくて服用しないので、悪化して緊急入院になったりする。これでは患者さんの生きる力を引き出しているとは言えません。
薬はあくまで1つの手段で、「どうすればあなたが生活していけるかを一緒に考えましょう、そのためにA案やB案がありますよ」と話をすること。「痛みを0にできなくても、2になったら眠れるようになりますよ」とか、ていねいに説明すれば患者さんに納得感を持ってもらえます。その信頼関係がないと、簡単に納得感をくれる自由診療や民間療法、詐欺みたいなところに行ってしまう。でも、そっちを信じたいと患者さんが思ったのなら、そうした民間療法や詐欺のほうが医療よりもよっぽど生きる力を引き出せているとも言えるのです。
対話不足が「患者-医師-家族」の間にブラックボックスを生む
――コミュニケーションの力によるところも大きいのですね。患者さん本人の希望する生き方があって対話を重ねても、本の中で紹介されているカトウさんのように、残される家族を気遣って本心を言えなくなるケースもあるようですね。
西 本人の希望がはっきりしているのに、家族によって歪められたりすることは少なくありません。特に患者さんが意思表示できなくなると家族の希望が優先されがちになるので、本人がしたいことなのか、家族がしたいことなのかをきちんと医療者が判別する必要があります。でも緩和ケアの立場では、そうなる前の患者さんを知らないとどうしようもないんです。判別する材料がないと患者さんの味方になれない。なので、できるだけ早いうちから医師や看護師に話してほしいんです。そうすれば、意思表示ができない状態になった時でも「診察室では、こうおっしゃってましたよ」と家族に伝えて、どうしたらいいのかを話し合うことができます。そういった材料がなければ、「これは家族が脚色した本人の意思だな」と感じても、「違う」とは言えませんよ。
――患者さん本人と医師とだけでどうするかを決めてしまうと、「医師が勝手に決めたんじゃないか」と、後になって家族から疑われることになりませんか。
西 もちろん、家族を無視するわけにはいきません。「本人がよければそれでいいじゃないか」と思われがちですが、患者さんと医療者、そして家族とていねいなコミュニケーションをとるという手続き的な部分を大切にしないと、医療がブラックボックスになります。診察室には看護師もいます。看護師は医師とはまた違う立場の医療者ですから、彼らが何を聞いて、どう思ったか、何をするかというのも重要なんですよ。僕は「言の葉を集める」と表現していますが、患者さんは医師、看護師、家族に話すことはそれぞれ違っていたりするんです。医師には聞けないことを看護師に相談したり、家族に言えないことでも医師には言えたりします。それは、どれも本心なんです。それぞれの「言の葉」を集めて、「この人はどうしたいんだろう」と考え、話し合い、患者さんが話せる状態なら「僕らはこのように考えましたが、いいですか?」と聞きます。ていねいにコミュニケーションをとっていくことが大事なんです。