(舛添 要一:国際政治学者)
人類は病気との闘いに次々と勝利して、長生きのできる社会を築き上げてきた。この闘いの武器として、薬や医療技術があり、世界中で科学者たちが、今も新薬や新技術の開発に鎬を削っている。当然、莫大な費用と時間がかかる。
厚生労働大臣のとき、内外の製薬会社から、開発コストの大きさについて説明を受ける機会があったが、日本の薬価が公定であることに関連して、とくに外国の製薬会社から、開発費に見合った価格の設定を要請されたものである。
富の差が医療の差をもたらしてはならない
一方、私は難病患者を救うために全力を挙げ、難病治療研究のための予算も一気に4倍にしたが、患者さんたちの最大の要望は、自分たちの疾患が難病の指定を受け、公的支援を受けられるようにすることであった。2014年には「難病の患者に対する医療等に関する法律」が制定され、難病に指定される疾患も増え、公的支援も拡大していった。
以上の話をしたのは、病気と闘うためには、第一に、有効な薬や医療技術が必要だということであり、第二に、その恩恵を皆が平等に享受できるような仕組みが必要だということを強調したかったからである。
第一点については、現在の新薬開発技術の進歩はめざましく、とくに遺伝子組み替え技術などを用いたバイオ医薬品は、「画期的」な新薬が登場している。しかし問題は、それらの価格が極めて高価なものになっていることである。
さらに第二点についてだが、「貧富の差が医療の差をもたらしてはならない、所得の大小が命を左右することがあってはならない」ということが、今日の先進民主主義国の基本原則になっている。そして、その原則を担保する手段として、公的保険制度が導入されている。欧州や日本がその典型であるが、アメリカではオバマケアなどの導入はあったが、公的保険制度が十分ではなく、民間の保険会社と契約して私的保険で対応するのが一般的である。そのために、まさに命の値段に差がついている。