沖縄から全国へ広まった苦瓜、なぜ「ゴーヤー」?

類まれなる“苦い作物”をめぐる歴史と科学(前篇)

2019.07.12(Fri)漆原 次郎

 並行して、県はゴーヤーの育種も進めてきた。1992(平成4)年、県は「群星(むるぶし)」という品種を開発した。多収性があるだけでなく、果実のサイズの揃いもよい。それまで県内では、大きさがばらばらでも重さ基準で売ればよかった。だが、県外では個数が基準となるし、規格も必要となる。サイズの揃う品種を開発できたことは、県外移入にとって要点となっただろう。

 県はその後も冬場向け施設栽培用の品種「汐風」を1995(平成7)年に、また収量の多い露地栽培向けの品種「島風」を2002(平成14)年に育種するなどしている。

 こうして1990年代、沖縄から県外へのゴーヤーの流通経路が開け、県外出荷が急増した。沖縄のゴーヤーを受け入れる本土でも、当時の健康ブームに乗って「苦味は夏バテに効く」とのイメージがつくられ、ゴーヤーが食べられるようになった。また、沖縄を舞台とした2001(平成13)年のNHKドラマ「ちゅらさん」も追い風となっただろう。

 沖縄や南九州の地方野菜だったゴーヤーが全国的に広まったのは、わずか30年前のできごとである。

暑い沖縄の風土にふさわしい作物

 日本列島におけるゴーヤーをめぐっては、まだ謎がある。「どうして沖縄で根づいたのか」だ。どのようにゴーヤーが琉球に入り、栽培されはじめ、当地で広まったかが分かる具体的記録は見当たらない。

 一説に、中国・福建省からの渡来人による伝来説がある。14世紀末には久米村(現・那覇市久米)に福建人が渡来している。また「ゴーヤー」の語源説に「合屋」という姓の人が始めたという伝えもある。だが、いずれも確たる証拠には乏しい。

 そこで、風土に目を向けて沖縄でのゴーヤー栽培の合理性を考えてみたい。まず、年間を通して暑いことは、熱帯アジア原産のゴーヤーを栽培するのに有利だ。この要因は南九州でニガウリが栽培されてきたことにも当てはまる。

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