(児美川 孝一郎:教育学者、法政大学キャリアデザイン学部教授)
これまでの記事では、戦後の新制大学に設置された教養課程の教育(一般教育)が、その後、どう展開されてきたのかを追いかけ、前回(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56521)は、1991年の大学設置基準の「大綱化」によって、全国の大学が雪崩を打って教養部の解体や一般教育の縮小・再編へと向かった要因について考察した。併せて、教養教育を軽視するかに見えるそうした急展開に対して、事態にもっとも慌て、警鐘を鳴らしたのが、大学設置基準の「大綱化」を進めた当の高等教育政策サイドであったことについても触れた。
では、政策サイドによる警鐘は、大学に響いたのか。少なくとも2000年代以降においては、大学における教養教育(一般教育)は、あらためて「復権」を果たしたのだろうか。そう単純なストーリーとはならないところが、実は、今日の「大学教育と教養」をめぐる混迷を象徴しているように思うのだが、今回の記事では、この点について論じたい。
地道な改革努力も
まず、前提認識として、2000年代以降の大学教育においても、個別の大学では一般教育の改善や改革に向けた地道な努力が積み重ねられてきたという側面があることに触れないわけにはいかない。
そのひとつの象徴は、「くさび型」のカリキュラムの普及であろう。それまでの大学教育は、大学1~2年次に教養課程、3~4年次に専門課程を置く、いわば「積み上げ型」の教育課程を編成していたと言える。くさび型とは、こうした段階区分を排して、大学1年次から4年次までを通して、教養課程も専門課程もともに履修できるようにしたカリキュラムのことである。
学年進行に応じて専門課程を学ぶ比重が高くなるのは当然としても、こうした編成をすることにより、学生が一般教育科目だけを学ぶような期間をなくし、一般教育と専門教育との連携やシナジー的な教育効果を期待することができるようになったことは確かであろう。くさび型のカリキュラムを組むことを前提に、大学によっては、一般教育の科目の中に難易度のグレードを付けて、履修学年を指定したり、そこに一般教育のゼミナールを組み込んだりするような工夫をする大学も登場してきた。
教養教育をめぐる問題と課題
とはいえ、大学教育全体として見た場合には、この時期以降の大学における教養教育(一般教育)が、さまざまな意味での問題と課題を抱え続けてきていることも、また一方の真実である。