NHKスタジオパーク入口(Wikipediaより)

「ガラスの天井」という言葉が使われるようになったのは、1980年代から。女性が、組織や社会のなかで立場や地位を求めようとしてもなかなか叶わない、能力や経験があっても道を阻まれてしまう、そういった見えない障壁を指す言葉だ。石井妙子氏の新刊『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』には、そんな苦難の時代を経て、各分野のトップランナーとなった女性たちの言葉が並ぶ。そのなかから、アナウンサー・山根基世氏のNHK入局後のエピソードを2回に分けてお伝えしよう。(JBpress)

(※)本稿は『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』(石井妙子著、角川書店)の一部を抜粋・再編集したものです。

女性が一生できる仕事を求めて

山根基世(やまねもとよ) 1948(昭和23)年生まれ。山口県出身。早稲田大学文学部卒業後、1971(昭和46)年、NHKにアナウンサーとして入局。報道、教養番組ほかを経て、「ラジオ深夜便」「NHKスペシャル・人体」「映像の世紀」等、大型シリーズのナレーションを多数担当。2005(平成17)年、女性初のアナウンス室長に就任。同年、紅白歌合戦の総合司会を担当。2007(平成19)年の退職後はフリーアナウンサーとして多方面で活躍する。

(文中敬称略)

 山根は、大学進学のために上京すると新宿区に安いアパートを借りて暮らし始めた。家からの仕送りは1万円、家賃は5千円。山根はアルバイトをして、両親にできるだけ負担をかけまいとした。「甘えてはいけないと思ったので、東京に行ってからは、いろいろなアルバイトをしました。靴の行商のおじさんの助手もしたんですよ。そんな中で一番長く続いたのが、住み込みの家庭教師でした。大学2年、3年と、世田谷にあったそのお宅で暮らしました」

「ちょうど学園紛争の時代でしたから、大学に行っても授業なんてやっていません。そんな中で私は学生演劇に出会い、夢中になった。たとえばチェーホフを上演するとなったら、皆で集まって原作の解釈を語り合う。皆でポスターを作って貼りに行く。徹夜で衣装を縫う。皆で舞台を創りあげていく過程が、なんていうか本当に青春だなって、そう思ったんですね」

「演劇界そのものにも活気がありました。ですから、卒業後、演劇の仕事をしたいと考えたこともあります。でも、演劇で食べていくのは大変なことだ、ということもわかっていた。それでは目標である、『自立』が果たせなくなってしまう。後ろ髪を引かれましたが、演劇を仕事にする道は諦めました」

 とにかく、長く働ける仕事に就きたかった。だが、「女性が一生続けられる職業」は、戦後、20年が経とうとも、まだ極めて限定されていた。

「女性が一生できる仕事といったら『教師』だろうと思いました。教育には、もともと興味があったので教職は取っていました。でも、そんな中で、NHKだけは受けてみようかと思ったんです。公共放送のNHKなら民間企業ではないわけですから、女性でも長く働けるはずだと思って」