保守系紙フィガロは、「ENAの選抜試験をもっと国民に寄り添った内容に改めることは喫緊の課題だが、学校自体を廃止したら、高級官僚の選抜を現職に任せてしまうことになる。かつて存在した支配階層内部における後継者の互選へ先祖返りしかねない」と廃止に反対の論陣を張る。高級官僚の選抜を閣僚や政治家の手に委ねれば、人選は身内から行われるようになり、政権に近い政党に偏ったり権力者の一族が能力と無関係に登用されたりする情実主義、縁故主義、追従主義が蔓延しかねないとの批判である。

ENAの学生の7割は企業や官公庁幹部の子弟

 マクロン氏は記者会見で、「共和主義的なエリート主義」には前向きに評価すべき価値を認める旨の発言もしている。「ENAは現在、大学生たちを排除し、研究・開発の世界とも自らを隔絶しており、国際的でもない。国内の似たような構造物を観察すれば、同じような体質が色濃く残されていることがわかる」という言葉がそれだ。高級技術官僚らを養成する国防省傘下の高等技術学校「エコル・ポリテクニーク」や、高等教育機関の教員を養成する「高等師範学校」といった「グランドゼコール」と呼ばれるいくつかの高等職業教育機関や、こうした学校の卒業生のキャリアパスの現状全体を改めようとしているのだろう。

 そうした改革がエリート校の卒業生たちによって動かされる政府機関の内部に相当の抵抗を生むだろうことは想像がつく。

 ENAの学生たちは、親の7割近くが企業や官公庁の幹部である一方、手工業職人や農民、ブルーカラーの労働者といった家庭出身の学生たちは極めて少ないのが現実だ。しかも、卒業生たちはそれをマイナスとは考えていないという。

 ENA同窓会長のダニエル・ケレール氏は仏メディアに、「教育制度全般に広がった社会的な不平等の重みのすべてを、ENAが一身に背負えるはずがない。不平等との闘いは幼稚園から始めるべきだ」と反論。能力をめぐる競争の上に成り立っている現行制度の本質については「少なくとも長所がある」と擁護した。

 それは外界から見ても正論であるように響く。

 反対論と政治的要請のバランスをどう取るのか。マクロン氏が回答を出せるころには、欧州議会選はとうに終わっているのだが。