仮説を紡ぎ合い未来を予見する

 私は、ビジネスの世界でも「自分の意見を述べること」と「聞く耳をもつこと」は、非常に重要だと考えている。ビジネスは、何が正解か分からない、どうすれば売り上げを伸ばせるのか分からない中、手探りで答えを探す作業ばかりだ。ゾウを手探りで触りながら、それが何なのか見分けられずにいるのと、同じ状態。

 そんなときに必要なのは、社員の一人ひとりが目にしたもの、耳にしたもの、自分が感じたこと、体験したことを言葉にし、皆と情報を共有することだ。そして自分の意見に固執せず、一人ひとりの意見に耳を傾け、すべての情報を矛盾なく説明できるものは何なのか、仮説(ビジネスプラン)を立てていくことが必要だ。

 そう考えていくと、箕子がなぜ紂王の横暴を予見できたのか、分かる気がする。箕子はおそらく、象牙のお箸だけを見て語ったのではないのだ。紂王が端々に見せる性質、たとえば豪勢なことが好き、とか、チマチマした倹約が嫌い、とか、説教くさいのが苦手、とか、聖人君子の類をバカにした発言をしているとか、そういったさまざまな情報から「一斑全豹」を箕子は行い、すべての情報を矛盾なく説明できる理論を考えた結果、箕子は暗い未来を予見したのではないだろうか。

 そう。「群盲象を撫でる」という営みは、「箕子の憂い」のごとく、未来を予見することにも使える。まだ見ぬ未来だけれど、さまざまな情報を総合して考えると、こうした未来になる可能性が高いのでは、という「仮説」を立てることができるようになる。

 もちろん、それは「仮説」でしかないから、確証はない。でもそもそも、最も正しいと思われている科学でさえ「確証」なるものはほとんどなく、小さな、断片的な証拠をかき集め、それぞれから物語(仮説)を紡ぎ、戦わせ、生き残った仮説だけを採用する、という作業を行っているに過ぎない。

「一斑全豹」も、「聞く耳」さえ持つことができるなら、悪いことではない。黄色い断片を証拠として示す人がいて、それを証拠として採用する度量があるなら、「ヒョウは黄色と黒の両方の色があるらしい」と、真実に近づくことができる。黄色い毛皮の中に黒い斑点が浮かんでいる断片を見つけることができたら、さらに真実に近づく。そうして私たちは、ジリジリと真実に近づいていくことができる。

「一斑全豹」のそしりを恐れず、自分の目にしたもの、耳にしたもの、感じ取ったことを、皆と共有しよう。みんなは、それぞれの人たちの報告を否定せず、耳を傾けよう。そして一緒に考え、すべての情報を矛盾なく説明できそうな仮説(ビジネスプラン)を紡いでみよう。そうすれば、箕子とまではいかなくても近づくことはできる。

 できるだけたくさんの情報を集め、一つひとつから大胆な仮説を立て、仮説同士を戦わせ、最後に生き残った仮説を確度の比較的高い仮説として「当面」採用する。もしビジネスの中で、矛盾する情報があがったら、すぐに修正にかかる。そうした柔軟性があれば、予見能力がどんどん磨かれていくだろう。

 所詮人間だから、確実に予見できることはない。しかし、近づくことはできるのだ。