インド発祥の料理にして、今や日本の「国民食」と呼ばれるカレー。日本人なら誰でも、カレーにまつわる記憶の1つや2つ、持っているのではないだろうか。

 私の中で「忘れられないカレー」と言えば、大阪・難波にある「自由軒」の名物カレー(650円)だ。ぐちゃぐちゃに混ざったカレーとご飯。そして、真ん中のくぼみには生卵が1つ。こげ茶色に色づいたご飯とつやつやした生卵のコントラスト。そのビジュアルを初めて雑誌で見た時、目が釘付けになった。

 自由軒は創業1910(明治43)年。炊飯器のなかった時代、冷めたご飯を温かく供するために、カレーとご飯を混ぜるアイデアが生まれた。この名物カレーは無頼派作家・織田作之助が愛したカレーとしても知られ、代表作『夫婦善哉』にも登場する。

 文学少女気取りだった高校生の私は、この一風変わったカレーを「いつかは食べてみたい」と思い続け、大学生になって念願が叶った。初めての大阪ひとり旅。相席のテーブルで縮こまりながらかき込んだカレーはダシが利いていてコクと苦味があり、想像していたよりずっと大人の味だった。

日本初の「あんかけご飯」だった

 カレーが日本に伝来したのは江戸末期。1859(安政6)年に横浜港が開港し、イギリス船によってもたらされたというのが通説だ。

 それから50年後の明治末期には、すでに自由軒のような日本風にアレンジしたカレーが好評を博していたのだから、その伝播力はすさまじい。

 日本でなぜ、これほどまでカレーが受け入れられたのだろうか。

 第1の要因は、「米と一緒に食する西洋料理」として広まったことだろう。

 日本で最も古いカレーのレシピは、1872(明治5)年刊行の『西洋料理指南』(敬学堂主人著)と『西洋料理通』(仮名垣魯文著)に登場する。