(柳原三佳・ノンフィクション作家)

 間もなく、新しい「元号」が発表されます。まさに国民の注目が一斉に注がれる瞬間ですね。

 現在、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」(一世一元)とされていますが、じつは、明治になる前までは「天皇の皇位継承」に関係なく、さまざまな理由で元号がコロコロ変わっていた、ということをご存知でしょうか。

江戸時代、改元は頻繁に行われた

 この連載のテーマである「開成をつくった男、佐野鼎」は、文政12年(1829年)に駿河国(現在の富士市)で生まれました。そして、明治10年(1877年)、伝染病のコレラに罹患し、49歳で、東京で亡くなりました。

 まさに、幕末から明治維新の激動の時期を生き抜いた人物なのですが、彼の一生を振り返ってみると、なんと元号が以下のように10回も変わっていることがわかります。

① 文政
② 天保
③ 弘化
④ 嘉永
⑤ 安政
⑥ 万延
⑦ 文久
⑧ 元治
⑨ 慶応
⑩ 明治

 こうしてみていくと、佐野鼎という人物がいかに激しい動きの中で生きてきたかがよくわかりますが、これだけ頻繁に変わると、本人でもなかなか覚えきれなかったかもしれませんね。

 さて、ここで注目すべきは、③の弘化から⑨の慶応までの7つの元号はすべて「孝明天皇」という一人の天皇の在位中のものということ。つまり改元は6回もなされているということです。